2026年08月09日(日)

=あなたがまことに強い者となるために=

【要約】<旧約>出エジプト記4117

聖書の中には、弱さを持つ者の例を幾つも見つけます。モーセは、その中の筆頭格です。 “モーセ”と聞きますと、百数十万の神の民をエジプトから導き出した偉大なリーダーだと理解しています。

でもモーセは、初めから偉大なリーダーだったわけではありません。出エジプト記4章から受ける印象は、「どうしてモーセはそんなに臆病なのか」との思いです。

主から「エジプトにいる神の民を導き出せ」と言われて、モーセの震えは止まりませんでした。モーセは、何かと理由をつけて「私はエジプトに行きたくない」と主張しています。

しかし主は、そのような震えおののくモーセを選ばれたのです。主はどういうわけか「私が、私が」と自己主張する者ではなく、一見弱く見えるような者、でも主に忠実に歩もうとする者を用いられます。

でもモーセは①まず自分の能力不足を感じた。②イスラエルの民の反応を恐れた。③モーセ自身の口の重さが決定的でした。モーセは、全知全能の神を見る前に自分を見つめた。

自分の力を見つめる者に、神の栄光を現すことはできません。主は、あなたに「自分自身ではなく、神ご自身を見るように」促しておられます。

しかし、モーセがどれほど弱くなっても、どれほど逃げても、どれほど自分を否定しても、主の選びは変わりません。

主の選びは、モーセの能力にではなく、主のご計画の確かさに根拠があるからです。

主は、イスラエルの民をエジプトから連れ出してご自身の栄光を現わすために、ずっと前からモーセを選んでおられました。“主の選び”に間違いはありません。主は、ご自身の栄光を現わすために人を用いられます。

でも「私こそ、主に用いられるにふさわしい者だ」と豪語する者(強い者)を用いられません。むしろ一見、自信のなさそうな者、でも誠実に主に仕えようとする者を用いられます。

私たちも弱い者たちですが、そのような“神の基準”によって選ばれた者たちです。主はあなたを用いようとされている。あなたを励まして、ご自身の栄光を現したいと願っておられる。

そのとき、あなたの自信のなさ、過去の傷や失敗経験、自分の限界、また自分にはできないと思う心も、主の働きを妨げるものとはなりません。主がともに働かれるとき、あなたの弱さは、むしろ強さに変えられるからです。

主は人の弱さを超えて働かれ、人の弱さを通してご自身の栄光を現わされる方なのです。主の前に強い者とは、自分の弱さを知って主に頼り切る者のことです。

モーセは主の前から逃げようとします。「どうかほかの人を遣わしてください」。それで主はアロンを備えてくださいました。

モーセに対する“の怒り”。それは、自分が主に選ばれた者であることを知りながら、 “主の愛”を受け取ろうとしないモーセへの“主の憐れみ”です。

それでモーセに向かって“の怒り”が燃え上がります。

ここに<神の愛>があります。神の愛は、その者をさらに大きな者へとつくり変えます。この時のモーセへの主の怒りは、アロンの選びという形をとってモーセに示されました。

そのことは、「主がイスラエルの民をエジプトから導き出すためにモーセを選ばれた」その選びを貫くための<主の主権的な愛の介入>です。モーセがどれほど主の召しを拒否しても、主の選びが揺らぐことはありません。

モーセを召し出された同じが、あなたをも召しておられます。あなたは「主のために、私は何もできない。誰か他の人を遣わしてください」と逃げ回っていませんか。主はあなたを愛しておられます。

私たちは知るべきです。主が私とともにおられるなら、私の弱さは、主の栄光を現わすための何の障害にもならないことを。

私たちが遣わされるべきエジプトはどこでしょうか。身の回りの者に福音を語ることか。それとも何かの奉仕によって教会に仕えることか。

自分を見つめず、全知全能の主が、あなたとともに働いてくださることを忘れないでいただきたい

モーセは主の助けによって出エジプトの事業を成し遂げ、聖書の中に偉大な人物として名前を刻みました。 あなたは現代のモーセです。

今あなたは“弱いモーセ”かもしれません。でも主に“忠実なモーセ”であっていただきたい。そのときあなたは、<主が弱さを超えて働いてくださる>ことを教えられるのです。