2023年7月9日(日)

=あなたが自由なキリスト者となるために=

<福音書>マタイ11章16~19, 25~30節

人がイエス様を信じることは、その者が地上においても“たましいの安らぎ”を得て、喜んで生かされることでもあります。それでイエス様は「神の知恵の正しいことは、その行いが証明します」と言われるのです。

イエス様は言われます。『これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました』。

人の究極の目標は父なる神を知ることです。人は神を知ることによって“たましいの安らぎ”を得るのです。しかし、その者が神を知るのは、神の善意の選びによるのです。

人は、自分の力に頼り、知恵に頼って神を知ろうとすればするほど、神から遠い存在となってしまうのです。そのような者に“たましいの安らぎ”は与えられません。

イエス様は、すべての人をご自分との結婚式に招いておられます。

「あなたは、わたしと結婚しよう。これからは、わたしといっしょに過ごそう」と。しかし招かれたほとんどの者は、イエス様を罪からの救い主と信じて主と結婚することを拒否してしまった。

イエス様は、すべての人を葬式に招いておられます。「あなたの罪の体の葬式を挙げよう。あなたは涙を流しなさい」と。しかし、招かれたほとんどの者は、洗礼の水で罪の体を死なせることを拒否してしまった。

人には、たましいの安らぎが必要です。しかし多くの人は、重荷を負わされ疲れ切り、安らぎを見い出せないでいた。それでイエス様は、三つのことを命じておられます。

・「わたしのところに来なさい」。・「わたしのくびきを負いなさい」。・「わたしから学びなさい」です。

人は何故イエス様のところに行くのか。くびきを負うためです。

イエス様は、「わたしのくびきを負いなさい。そのくびきは軽くて負いやすく、束縛するものでないことがわかるだろう。そのことを学びなさい」と言われる。

人は、イエス様の重荷を負えば負うほど、その重荷は軽くなり、より自由になり、父なる神を教えられるのです。

人が、父なる神を教えられたときに、たましいの安らぎが与えられ、自由な者とされるのです。それが“キリスト者の自由”です。

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