2026年07月19日(日)

=主を正しく畏れて過ごすために=

【要約】<旧約>出エジプト記1822

イスラエルの人々はどんどん増えました。そしてヨセフのことを知らない王が起こり、イスラエルの民への迫害が始まりました。

しかし主は、イスラエルの苦しみが増せば増すほど、彼らへの祝福も増し加えてくださった。

「苦しみの中で増し加えられる恵み」。私たちはそのような恵みを幾つか持っていないでしょうか。まず、苦しみの中では“祈り”が増やされます

信仰者も苦しみ悩みます。病で苦しむとき、経済的に苦しむとき、人間関係に悩むときに私たちは祈ります。苦しむ者の祈りは神への叫びです。主は、苦しみの中でのあなたの祈りを聞いておられます。

次に、苦しみの中では“証し”が増やされます。信仰者は、苦しみの中での“恵みの体験”を重ねることによって、主のすばらしさを語る材料が増し加えられるのです。

苦しみの中にあっても、「主よ、あなたはこの苦しみによって、私に何を教えようとされているのですか」と祈ることのできる者は幸いです。

さてエジプトが、イスラエルの民に重い労働を課したのは、ますます増えるイスラエルの民に恐怖を覚えたからでした。そしてついに、エジプトの恐怖は、直接イスラエルの民のいのちにまで及ぶようになりました。

エジプトの王ファラオが、へブル人の助産婦に「産まれて来る子が男の子であるなら、殺さなければならない」と命じたのです。これは、イスラエル民族に及んだ国家による迫害(ジェノサイド)の始まりです。

その政策が続けられれば、イスラエル民族は確実に滅びます。そうなれば「あなたの子孫は、星の数のようになる」と言われた主の約束はどうなるのか。 しかし主は、へブル人の助産婦に働きかけてくださった。

1章15節二人の助産婦の名前が記されています。一人はシフラ、もう一人はプアです。聖書に名前が記されていることは大変名誉なことです。それは、主がこの二人の働きを喜んでくださった証拠です。

この二人の助産婦は、ファラオの命令に反しても、男の子を生かしたのです。聖書はその理由を「助産婦たちは神を恐れ」と書いています。この二人の助産婦もどうすべきか苦しんだでしょう。

しかし彼女たちは、まことに恐れるべきはファラオではなく、全知全能の主であることを知っていたのです。それで彼女たちは、イスラエルの神に頼ることを決断しました。

真の神を畏れる者が、主の恵みの器から漏れることはありません。これも“苦しみの中で増やされる恵み”の一つです。

さてエジプトのイスラエルの民にとって、二人の助産婦は苦しみの中の“小さな助け”でした。その小さな助けが小さな命を守り、神のご計画を前進させたのです。

私たちの周りにも、苦しみの中にあっても主のご計画を助ける“小さな助産婦”を見つけることはできないでしょうか。

あなたが苦しんでいた時、ふとした励ましのことばをかけてくださった方、祈り支えてくださっている方、また聖書の中の一節が心に留まることもあります。

それらは「助産婦のような助け」です。決して大きな働きではありませんが、確実にあなたの信仰を支えます。

私たちも、主に従う中で苦しみや不安があります。神はその苦しみや不安をすぐに取り除かれる方ではありません。むしろ苦しみのただ中に「助産婦のような小さな助け」を置いてくださる方です。

それは私たちを支え、信仰を守り、主のご計画を前へ進める確かな助けです。その小さな助けを見つけるとき、私たちは苦しみの中にあっても主の憐れみを教えられるのです。

苦しみの中にあるとは、私たちが何らかの重荷を負うことです。目を見開いて、周りを見回してください。助産婦の助けを必要としている方が見えないでしょうか。

主はあなたにも期待しておられます。誰かのための小さな祈り。誰かを助ける小さな誠実さ。主を証しする小さな忍耐。誰かの弱さを補う小さな愛の行動。

それらは小さな働きですが、確実に主のご計画を進めます。

そのため私たちは、私のために“罪の滅びから救い出す助産婦”となってくださった主イエス・キリストにすがり付かなければならないのです。