2026年07月26日(日)

=ダイナミックな信仰生活を過ごすために=

【要約】<旧約>出エジプト記2122

ファラオから『生まれた男の子は、ナイル川に投げ込め』との命令が出されたときに、モーセが生まれました。ここで主は「殺されるはずの男の子」という状況の中で、人には見えない形で幾つもの“救いの器”を準備されました。

①母親に三か月間育てさせたこと。 ②ファラオの娘には、捨てられた男の子を見て「かわいそうに思う心」を起こされたこと。 ③男の子の姉には、ファラオの娘に「乳母を呼んできましょうか」と機転のあることばを言わせたこと。

そうしてモーセは宮殿の中で教育を受けて成長します。40年間の沈黙の後、主はモーセに同胞のイスラエル人を憐れむ心を起こされた。モーセは、イスラエル人を苦しめているエジプト人を打ち殺し、エジプトから離れ、真の神のもとに戻ることになるのです。

その時のモーセの体験は、私たちにも当てはまります。あなたは、以前は教会学校で福音に触れていた。でもいつの間にか世の生活に浸ってしまった。でもいろいろな悩みを通して教会を思い出し、信仰者としての道を歩みだした。

別のあなたは洗礼を受けたけれど、この世の楽しみに惹かれ、何年も真の神を忘れてしまっていた。でも誰かがあなたのことを覚えていて祈り続けていた。それである時、心にイエス・キリストを思う想いを燃え上がらせてもらった。

主はもっとも良い時に、あなたの内に教会を懐かしく思う心を湧き上がらせてくださった。そうです、私たちが“偶然”と思っている出来事の背後にも、主の静かな導きがあったのです。

さてモーセは、同胞のイスラエル人を救おうとして、自分がいのちを狙われる立場になってしまった。それでエジプトから逃げた。それはモーセの挫折です。

何故モーセは挫折してしたのか。自分の力でイスラエルの民を救おうとしたからです。モーセは王妃の息子であり権限を持っていた。それで自分の力に頼ってしまった。

自分の力に頼る者には、限界を覚え挫折する時が来ます。モーセは整えられねばなりませんでした。神の力に頼る者として変えられねばならなかったのです。

神の導きは“成功体験”からではなく“失敗体験”から始まることが多いのです。

私たちは、何度か挫折を経験しています。主に選び出される者は、主の弟子として整えられるからです。

そのような時「どうしてこんな事になるのか」とつぶやくのではなく「主よ、あなたはこのことを通して、私に何を教えようとされているのですか」と祈ることも必要です。主はあなたを見放してはおられない、あなたを訓練しようとされているのです。

モーセは、ミディアンの地で羊飼いの生活を始めました。主は、40年間の羊飼いとしての生活の中で、イスラエルの民をエジプトから導き出すリーダーとして、モーセの人格を練られました。

エジプトの王宮での40年、羊飼いとして40年、その80年の間、神は沈黙されました。しかし神はずっとモーセを見ておられた。

その間、神は沈黙されましたが不在ではなかった。神は沈黙の中でこそ最も深く働いておられた何のために。モーセを用いて、ご自身の計画を成就されるために。

私たちも“神の沈黙”を経験するときがあります。そのような時、主はあなたを助けられないのではありません。主はご自身の栄光を現わすために、時が満ちるまで、あなたを整えておられるのです。

信仰生活の醍醐味は“神を感じること”です。 神は見えないところで働いておられます。「信仰生活とは、見えない神の働きを信頼し、体験する歩み」です。

私たちは、余りにも世の出来事に捉われすぎて、見るべき主の働きを見逃してはいないでしょうか。主は、あなたのために益となるように、すべてのことを働かせておられます。

モーセの最初の80年の人生は、そのことをあなたに語りかけています。ですから、あなたが主の愛に気がつくか、気がつかないかは、あなたの自由ではありません。主は「わたしに気づきなさい」と言っておられます。

神は、沈黙の中でこそ“主の器”とするために、あなたを整えておられるのです。問題は、あなたがその神の働きにどのように応答するかです。無視しますか。忘れますか。それとも、沈黙の中におられる主の働きを信じて立ち上がりますか。

あなたが<目に見えない神の働き>に気がつかれるなら、あなたは主の大いなる愛に感謝して、立ち上がらざるを得なくなります。

そのようにして立ち上がったあなたを、主はご自身の栄光を現わす器として用いられるのです。それが信仰生活の醍醐味です。