2024年04月14日(日)

=あなたが主の証人であることを知るために=

<福音書>ルカの福音書243648

イエス様がゲッセマネの園で逮捕されてから後、弟子たちの心は暗かった。イエス様こそ“救い主キリスト”だと思ってついてきた。そのイエス様が十字架で死んでしまった。弟子たちの心は不安で一杯でした。

そんな弟子たちの真中に突然イエス様ご自身が立たれたのです。弟子たちは大いに喜びました。人は、神がともにおられることが分かれば、どんな状況にあっても平安でいることができます

平安とは、神がともにおられることが分かることです。世が与える富や名誉は、一時的な満足感を与えるかもしれませんが、決して心の安らぎは与えません。

神が与える平安は、人の心に安心感(たましいの安らぎ)を与えます

さてイエス様は、弟子たちに<復活の現実性>と<復活のからだの特質>をハッキリと印象付けるために、突然弟子たちの真中に立たれました。

でも弟子たちでさえ、目の前に現れた人がイエス様だと分からなかった。それは、イエス様の復活のからだが、以前のからだとは違っていたからです。イエス様は霊的なからだで復活されました。

その事実は、私たちに二つのことをもって迫ってきます。

一つは、私たちも必ず霊的なからだをもってよみがえる復活の現実性です。私たちは死後、幻想の世界に幽霊のように現れるのではなく、イエス様のように、死後の世界に肉体をもって復活するのです。

もう一つは、私たちが<イエス様の復活の証人となる>ことです。

私たちは洗礼を受けたときに変えられました。ルターは「洗礼は、新しい自分によみがえることだ」と言っています。

そこで私たちが問われているのは「あなたはイエス・キリストを信じ洗礼を受けた時に変えられた事実をどのように受け止めますか」です。

昔からあなたをよく知る人に「あなたは、昔のあなたとはまったく変わった」と言われれば、それは大変うれしいことです。それは、あなたが復活イエス様に似る者と変えられているからです。

そのように変えられたあなたが、イエス・キリストの<復活の証人>となるのです。

またイエス様は弟子たちに「心を開いて聖書を読まなければ、そこに書かれていることは悟れない」と言われます。心を開くとは、信仰をもって聖書を読むことです。

私たちが心を開くためには、主により頼まなければなりません。人の心を開くのは、神のわざです

そして神によって心開かれた者が、主の復活の恵みにあずかり、イエス・キリストの<復活の証人>として全世界に遣わされるのです。主は、あなたの心を開き<復活の証人>として遣わそうとしておられるのです。