2026年05月17日(日)
=あなたが神をもっと身近に感じるために=
【要約】<旧約聖書>創世記27章46節~28章22節
神のご計画は、人の側の不完全さによって妨げられることはありません。今ヤコブは、兄エサウから逃れてラバンのもとへ向かっています。
ヤコブは不安でした。まったく自分一人の旅だと思っていたからです。ヤコブは、神がともに歩んでくださっていることを知らなかった。
ヤコブはアブラハム、イサクと引き継がれた“祝福”を自分のものとしたはずなのに、今エサウを恐れて逃亡の旅の最中です。石を枕にするほど惨めな状況です。ヤコブには、神が見えなかった。
そのような状況のヤコブに、主は夢によってヤコブの生涯に介入されました。『一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた』。
このはしごは<天と地の断絶が回復される象徴>です。つまり天からのはしごは、罪によって断絶したように見える<神と人との関係>を、神が一方的に回復してくださるという啓示です。
ヤコブは自分の行動によって“祝福”を勝ち取ったと思っていましたが、この夢で、神は「祝福は天から下るものである」と教えられたのです。
またこの“ヤコブのはしご”は、私たちをも天に導く道として示されています。私たちもヤコブと同じ罪人でした。神が見えなかった者でした。
そのような罪人の私たちにとって、天の御国は断絶された世界であり、誰一人そこに入ることはできないのです。
そのため、私たちにとっての“ヤコブのはしご”が神によって一方的に備えられました。天から遣わされたイエス・キリストが十字架について、すべての人の祝福の道となってくださったのです。
つまりヤコブのはしごは、イエス・キリストの十字架の型です。ですから私たちは、イエス・キリストの十字架の福音によってヤコブが受けた“祝福”を受け継ぐのです。
さて主は、夢の中でヤコブに語られました。『わたしは、この地をあなたとあなたの子孫に与える。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない』。
これは主がヤコブと交わされた“契約のことば”です。その時のヤコブは「私は神に見捨てられた」と思っていたかもしれませんが、神はずっとヤコブを見ておられました。
ヤコブは「まったく自分一人だ」と思っていた時に、夢で「主がともにおられる」ことを教えられました。主は選ばれた者をどんな時でも見ておられます。
私たちの信仰生活の中においても「神は私を見捨てられたのか」と叫びたくなることはあります。祈ってもまったく応えられず、「主はどこにおられるのか」と叫びたくなることがあります。
しかし、神が人を見捨てることはありません。神が人を見捨てないとは「その者の罪よりも大きな恵みが働き続ける」ことです。
主は、すべての人に「わたしはあなたを見捨てない」と言われます。あなたの罪がどれほど大きくても、あなたがどれほど神と離れた生活をしていても、主はあなたを見捨てられることはありません。
ここでの「主はあなたを見捨てない」とは、「あなたがどれほど罪深くても、わたしはあなたに福音を語り続ける」との神の側の宣言です。
主は十字架の福音を語り続けてくださり、私たちは罪の滅びから解放されました。そのことは、イエス様が<神と私の間のかけ橋>となってくださったことを意味します。
ヤコブの夢の中に現れた“天のはしご”が、ヤコブと主とのかけ橋だったように、イエス・キリストの十字架は、私たちと神とを結びつける<天の御国への道>なのです。
私たちは、イエス・キリストを信じる信仰者ですが、依然として自分の心の中に罪が巣くっている現実を知っています。
しかし「罪に身を委ねる者にも、主は福音を語り続けてくださる」。これは、創世記から黙示録までを貫く“神の真理”です。
ここにおられるすべての方々が、「わたしはあなたとともにいる。わたしは決してあなたを見捨てない」との主の約束を常に思い出され、一層<アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神>に従う者と変えられますように願っています。
「あなたが一人だと思う時こそ、神は最も近くにおられる」のです。