2023年12月10日(日)

=あなたが喜んで待降節を過ごすために=

<福音書>マルコ118

「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」(1章1節)に福音書記者マルコの意図があります。「神の子とは、神だ」ということです。マルコはペテロから話を聞きイエス様は神だ」と結論付けたのです。

次に「イエス・キリスト」と書きました。マルコは、イエス様が十字架で死に三日目に復活されたことを聞き、イエス様がすべての人々の罪の滅びからの救い主キリストであると知ったのです。

そして「福音のはじめ」と言って「イエス・キリストが福音そのものだ」と悟ったのです。

この1章1節のことばは、福音書全体を高らかに歌い上げるファンファーレのようなことばです。

マルコは、この福音書を読む人が「福音の響きを他の人に響かせる」者へと変えられるために、この福音書をまとめたのです。

「荒野で叫ぶ者の声」は、バプテスマのヨハネの声です。荒野は、潤いのない不毛の地です。そこでは、木は良い実を結びません。同じように、この世は神のことばがないことにおいて荒野です。

神のみことばがない所では、人の心は荒れ、神のために実を結ぶことはありません。

また悔い改めとは、神の方へ心の向きを変えることです。ヨハネは「罪を赦していただくために、心の向きを神に向けて、バプテスマを受けなさい」と宣べ伝えました。

そしてヨハネがキリストについて証言したことばは、弟子たちに引き継がれ、今に至るまで宣べ伝えられています。

日本のクリスチャン人口は1%にも満ちません。日本の99%は荒野です。神のみことばが語られないがゆえに荒野です。

人の魂に神のことばが語られない時に、その心は潤いのない荒野となるのです。神の実を結ぶことはありません。

日本の荒野で、誰がイエス・キリストを証言するのでしょうか。日本の荒野で叫ぶ者の声は、あなたの声です。

それゆえ主は言われます。『神の子。イエス・キリストの福音のはじめ』と。

あなたが、イエス様が神だと教えられ、罪からの救い主キリストであると悟り、イエス様の死と復活が、永遠のいのちに導く福音であると信じるなら、主はあなたに力を与え、あなたを<荒野で叫ぶ者の声>とされるのです。