2023年12月17日(日)

=あなたが神の前に謙虚な者とされるために=

<福音書>ヨハネ168, 1928

バプテスマのヨハネは、イエス・キリストについて証しするために神から遣わされた人でした。それは、人々が彼のことばによってイエス・キリストを信じるためです。

神は、すべての人が、ことばを通してイエス・キリストを信じることを望まれたのです。

さてユダヤの指導者たちは、「ヨハネが、救い主キリストなのか」を確かめるためにヨハネの所に使いを送りました。使いの者はヨハネに問います。「あなたは来るべきキリストですか」と。

ヨハネはハッキリと「違います。私は、イザヤ書に預言された『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ声』です」と答えます。

ヨハネは多くの人から「あなたは来るべきキリストですか」と聞かれたでしょう。でもヨハネは、いつも同じ答えをしたのです。それが告白です。

たとい周りの状況が悪いものであっても、同じことを言うのが告白です。 ヨハネは、自分に与えられた役割をよくわきまえていたのです。

人々に、自分の罪を悔い改めさせ、荒れ地のような人の心を潤いのある心へと変える。

曲がりくねった道のようにひねくれている心を、神の前に素直なまっすぐな心へと変える。そのために人々に叫び続けるのがヨハネの使命です。

ヨハネは、人々から「あなたが、旧約聖書に到来が預言されている救い主メシヤですね」と持ち上げられても、おごり高ぶることはなかった。そこにヨハネの謙虚さがあります。神の前の謙虚さです。

それは、自分に与えられた使命をよく理解して、黙々とその働きに仕え、それによって神の栄光を現わすことです。

ヨハネは自分の立場をわきまえ、①「彼が、荒野で叫ぶ者の声」であること。②彼が授けるバプテスマは、キリストが授けるバプテスマの準備的なものにすぎないこと。

③「彼自身は、キリストとは比較にならない者である」ことを告白したのです。

人は、イエス・キリストから目を離したときに、高慢になり、サタンの試みに負けるのです。逆に、イエス様を見つめ続ける時に<神の前に謙虚な者>とされ、主を証しする者として用いられるのです。