2024年03月03日(日)

=あなたが健全な信仰を持つために=

<使徒書>Ⅰコリント1章18~25節

コリント教会には、福音をことばの知恵によって宣べ伝えようとする者がいました。パウロの怒りの声が聞こえてくるようです。

パウロは「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です」と言います。これは、人が救われるためには、十字架の福音が唯一の道だとのパウロの力強い宣言です。

また人は、自分の意志だけではイエス・キリストを罪からの救い主と信じることができません。そこに神の全能の選びがあります。

世の知恵ある者は、自分の知恵によって神を知ろうとします。しかしパウロは、神の知恵により神を教えられたのです。

このようなパウロの思いは、彼の健全な信仰から湧き起って来る<健全な怒り>です。パウロは、この世の知恵の愚かさによって、イエス・キリストの福音宣教が阻害されることに我慢ならなかったのです。

私たちは、クリスチャンは怒ってはならないと思っていないでしょうか。しかし、健全な怒りの感情を抱くことは良いことです。

でもクリスチャンの怒りは決して感情的な怒りであってはなりません。信仰者は、たといそのことが自分に不利益なことと思えても、それが神の御心によるものであるなら忍耐します。神への信頼があるからです。

逆に、そのことが自分には益となるように思えても、福音宣教の妨げとなるのであれば、怒らなければなりません。それが<健全な怒り>です。

ただ私たちには、心しなければならないことが一つあります。それは<健全な怒りは、健全な信仰からしか出てこない>という事実です。健全な怒りは神を証します。

パウロは叫んでいます。「あなたは健全な信仰を持っているか。健全な信仰から湧き起る健全な怒りを抱いているか」と。

この但馬地方では因習が強く、この地で信仰を守り通すことは大変なことです。しかしあなたは、この地でイエス・キリストの十字架のことばによって神の救いの中に入れられました。

あなたは、常に健全なクリスチャンとして、イエス・キリストの十字架の福音を、ご自分の誇りとする者であっていただきたい。

そのようなあなたを、主は、十字架のことばを宣べ伝える健全な信仰者とされるのです。