2024年2月11日(日)

=あなたが生き生きとした信仰生活を過ごすために=

<福音書>マルコ9章2~9節

弟子たちの目の前でイエス様の御姿が変わりました。イエス様の衣が光り輝き、エリヤとモーセが現れイエス様と語り合っていた。

それは、イエス様ご自身が、到来が預言されている救い主メシヤであることを弟子たちに教えています。それでペテロは「幕屋を三つ造ります」と的外れなことを言いました。

この時、弟子たちはただ目の前で、神の栄光の内に白く光り輝くイエス様の姿を、モーセとエリヤが現れて話をしておられるイエス様の姿を目に焼き付けておけばよかったのです。

栄光のイエス・キリスト輝きを、忘れなければそれでよかったのです。

それで光り輝くイエス様の姿から、私たちが教えられるべきことが三つあります。

その第一は、白く輝いた姿が、イエス様の本来の姿であることです。イエス様は、私の罪を贖うために、輝きのない肉の姿をとって地上に降りて来てくださったのです。私たちは、その事実を教えられ感謝しなければなりません。

二つ目は、私たちも光り輝く姿に変えられることです。それは、私たちが天に帰った時の姿です。罪に汚れた私たちも、天の御国に帰ったときには、一点の曇りもない完璧な姿に変えられるのです。

三つ目は「私たちも地上において変えられなければならない」ことです。私たちは、自分の罪を明確に教えられるために、イエス様の栄光の光に照らされなければなりません。

あなたが見るイエス・キリストの輝く光が明るければ明るいほど、罪はより鮮明に明らかにされるのです。人は、イエス様の栄光の光に照らされて初めて自身の罪深さを知るのです。

私たちは、「自分はもう少しいい奴だ」と思っている。それはあくまで、自分の物差しで測った結果です。あなたは、神の物差しに耐えられない。

だからあなたは、イエス・キリストによって変えられなければなりません。

私たちはこれからも、幾度となく失敗します。挫折もします。しかし、イエス様の光り輝く栄光の姿を忘れない者は、必ずイエス・キリストのところに戻って来るのです。

そしてそのような者たちが福音宣教の担い手として、主のご用のために重荷を担う者とされるのです。