<讃美歌>讃美歌394番「主よ終わりまで」

<聖書日課>マタイ19章16~22節「良い方に従う」

この箇所は「金持ちの青年」の話として有名です。この青年は、自分の持っている多くの財産を手離すのが惜しくて、イエス様の前から去って行きました。

私たちは、去って行く青年の後姿を想像して淋しさを感じます。

この青年は、人は死んだ後に永遠のいのちを得ることができると信じていました。しかし彼の悩みは、どうすれば”永遠のいのち”を獲得できるのかが分からなかったことです。

この青年の間違いは、彼の「どんな良いことをしたら」のことばに表れています。律法的な考えです。

青年は、何か良いことをすれば、そのご褒美として天の御国に入れられ永遠のいのちを得ることができると思っていました。

しかしながら、そのような青年に対して、律法によっては永遠のいのちを獲得することができないことを悟らせるために、イエス様は、敢えて律法をもって答えられました。

「戒めを守りなさい」と。「殺してはならない」、「姦淫してはならない」、「盗んではならない」、「偽証をしてはならない」、「父と母を敬え」、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」。

この青年は、律法を守ることにおいて頑なでした。これらの戒めをすべて守っていると言っています。それでイエス様は、青年が受け入れられないであろう”良い行い”を要求されました。

「持ち物を売り払い、貧しい人に与えなさい」。しかし、この一連の会話の中で、イエス様が本当に要求されているのは、二つのことだけです。「良い方は、一人だけです」(16節)、「わたしについて来なさい」(21節)です。

この青年は、律法と財産に縛られて、無条件でイエス様に従うことができなかったのです。

私たちも、同じようなことをしてはいないでしょうか。私たちは、神様は唯一の方であることを知っています。しかし、イエス様に従うことにおいて、いろいろ条件を付けていないでしょうか。

「今は忙しいので、ちょっと待ってください」、「ちょっと疲れているので、休ませてください」、もちろん、仕事の都合や健康上の問題で休まなければならない時はあります。

しかしイエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と言われます。

そのことばを握りしめて、私たちは、これからもただ一人の”良い方”であるイエス・キリストに真剣に従い続けましょう。

アーメン

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