2023年11月22日(水)

<讃美歌>讃美歌164「わがたまよ 主をほめよ」

<聖書日課>マタイ24章45~51節「良いしもべと悪いしもべ」

ここに言われている「主人から任命されたしもべ」とは、私たちのことです。

このしもべは、家のしもべたちの上に任命され、彼らの世話をするように命じられました。任命されたしもべは、主人からそれなりの権限を与えられたのです。権限を与えられた者には、主人の期待も負っています。

19日の礼拝で、5タラント/2タラント/1タラント与えられたしもべたちのたとえから話しましたが、主からタラント(才能)を委ねられた者は、主人の期待に応えることも要求されています。

私たちは、各々他の人の上に立つ者ではありませんが、互いに相手を愛し合わなければなりません。

のたとえ話の中の、主人に忠実で賢いしもべとは、謙虚になって相手に仕える信仰者の姿です。

逆に、仲間のしもべたちをたたき始め、自分の欲を満たすために、飲んだり食べたりしている悪いしもべとは、高慢になってしまった信仰者です。

そのような謙虚な信仰者と高慢な者とは、何によって区別されるのでしょうか。イエス様は、そのことを「そのしもべの主人は、予期していない日に、思いがけない時に帰って来る」と言われます。

そうです、人は「キリストは戻って来ない」、「再臨はない」と自分勝手な思いが先行するときに、高慢になり、世俗的な快楽主義に陥ります。

逆のことを考えると、私たちは与えられたタラントを用いて、互いに愛を持って仕え合い互いのために祈り合う時に、主は私たちを「よくやった、良い忠実なしもべよ」と褒めてくださるのです。

私たちは、この世での繁栄や栄誉を求める者ではありませんが、イエス様が再臨された時に「よくやった忠実なしもべよ」と褒めていただくことを切に求めたいものです。

そのようにして、主に仕える私たちを、主はこの地上においても祝福してくださいます。

八鹿教会が、これからも互いに愛し合う教会として、主に仕えたいと願っています。

アーメン