<聖書日課>マルコ16章19~20節「福音宣教の力」

4月21日の祈祷会メッセージでも触れましたが、「マルコの福音書16章9節以降は、比較的初期に追記された」と言われています。発見されている有力写本(シナイ写本/バチカン写本)は、16章8節で終わっているからです。 確かに8節で終わりますと、弟子たちが復活されたイエス様にお会いしたかどうか分かりません。いかにも中途半端な感じがします。それで誰かが、その後の出来事をまとめて追記したようです。 ただ、マルコの福音書は、追記された部分も含めて正典として認められていることは正しく受け止めるべきです。

今日の箇所である16章19~20節には、復活されたイエス様が弟子たちの前で天に上げられたこと、その後、弟子たちは至る所に出て行って福音を宣べ伝えたこと、主がともに働いてくださったことが記されています。

ここで私たちが確認したいことは、「福音宣教は主のわざ」であることです。

弟子たちは、イエス様の十字架を目の当たりにして完全に打ちのめされました。失意のどん底に落とされたのです。

そのような弟子たちを強くしたのが「イエス様の復活」です。

復活により弟子たちは、イエスが神の子キリストであることを確信いたしました。

しかし、弟子たちの確信だけでは福音宣教は進みません。人の確信は長続きしません。

福音宣教を推し進めるためには、どうしても神の助けが必要です。

20節で『主は彼らとともに働き』とあります。

神様はご自身の知恵により、信仰者が神様の助けにより他の人に福音を宣べ伝えるようにされました。

それはイエス様が地上におられた時から2000年経った今の時代も変わっていません。

しかし同時に、信仰者が神の力に頼ることも求められました。

祈りをおろそかにする所に、宣教の花は咲きません。

今、八鹿教会に宣教の花が咲こうとしています。

3月に一人の姉妹が亡くなられたことによって蒔かれた一粒の麦が、あちこちで芽を出し始めています。私はそこに神のわざの不思議を見る思いがします。

尚も祈ろうではありませんか。主は私たちとともに働くことを願って、私たちが祈ることを待っておられる。私たちの周りおられる方々に福音を語り、新たな魂を獲得するために主に祈り続けましょう。

「福音の力は、神の力」であるからです。 アーメン

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