<讃美歌>讃美歌238番「いのちのかて 主よいま」  

<聖書日課>ヨハネ5章19~29節「神の声を聞く」

イエス様は、安息日に38年間歩くことのできなかった男を癒されました。それを見て、ユダヤ人たちはイエス様を迫害しました。(16節)

この箇所では、そのようなユダヤ人に対して、イエス様はご自分がどのような者なのかを語っておられます。

「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません」(19節)。 「それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです」(20節)。

イエス様のこれらのことばは、ユダヤ人たちが信仰の対象としている<神>の命を受けて、ご自分がわざを行われるのであり、「たとい安息日に人を癒しても、あなたがたが非難するのは間違っている」ことを言っておられます。

ここでイエス様は、ユダヤ人をはじめ、私たちにも「わたしを見て、父なる神を見なさい」。「わたしの声を聞いて、父なる神の声を聞きなさい」と言われているのです。

私たちは、聖書のことばを通して、イエス様がどのようなことを行われたのか見ることができます。何を語られたのか聞くことができます。それは、父なる神様のわざを見ることであり、声を聞くことです。

父なる神様は、ご自分がどのような方であるかを知らせるために、イエス様を地上に遣わしてくださいました。

私たちは、イエス様のわざを正しく見ているでしょうか。イエス様の声を正しく聞いているでしょうか。

もし私たちが、毎週礼拝に出席して恵みを受けていながら、イエス様を受け入れないなら、わたしたちは「安息日に病人を癒した」と言って文句を言っているユダヤ人と同じになってしまいます。

しかし、イエス様を自分の心に受け入れ、その御声に聞き従う者は、この世においてすでに「永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死から命に移っている」(24節)のです。

私たちは、「神様は絶対的な存在である」ことを固く信じています。すばらしいことです。

であるなら、私たちは自分の生活の中において、もっと深くイエス・キリストに入っていただく必要はないでしょうか。

これからの信仰生活において、あなたがとイエス様との関係がさらに密接なものとされ、あなたが、イエス様の御声(聖書のみことば)の内に、神の声を聞く者とされますように願っております。

アーメン

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