2023年7月5日(水)

<讃美歌>讃美歌402番「うれしき恵よ」

 <聖書日課>マタイ11章20~24節「神のわざを見る」   

ここでイエス様は、自分たちの目の前で行われた力あるわざを見ながら、それを神のわざと認めない人々を責められています。

その力あるわざは、神の力を証明する奇蹟です。イエス様は、神のわざを人々に示し、罪を悔い改めるように願っておられました。しかし人々は悔い改めませんでした。

コラジンやベツサイダは、ガリラヤ湖周辺の町です。そこに住むユダヤ人たちは、救い主が来ることを知らされておきながら、救い主のしるしを見ることができなかったのです。

ツロやシドンは、地中海沿岸の異邦人の町です。彼らは、救い主が来ることを教えられていません。

でも、イエス様は、ご自身が行われたわざが異邦人の地で行われたら、彼らはそのわざによって救い主を知り、神の前に謙虚になり、罪を悔い改めたであろうと言われます。

ここに私たちへの忠告があります。

私たちは、聖書の中で、イエス様のみことばや力あるわざすでに神の力を教えられました。また、ここ数年の八鹿教会になされた神のわざのすばらしさを見てきました。

教会の雰囲気が、イエス様を知っている喜びで明るくなりました。洗礼者が与えられました。洗礼を決心されている求道者の方もおられます。

その結果、礼拝出席者が増え、教会会計も改善されました。

私たちは、そこに神の力あるわざを見ているでしょうか。そこに、神への畏れを感じているでしょうか。

もし私たちが、教会に与えられた神の恵みを見ることなく、感謝を忘れるなら、八鹿教会はツロやシドンと同じだと言われてしまいます。

神は、八鹿教会をさらに祝福して、恵みを与えようとしておられます。私たちは、ますます神の前に謙虚なクリスチャンとして活かされ、主の恵みをいただこうではありませんか。

今、主はあなたの近くにおられ、あなたに語りかけておられます。

これからも、霊の目で主を見させていただき、霊の耳で主の声を聞き続けたいと願っております。 八鹿教会の信仰の歩みが、ますます神の前に祝福されたものとなりますように願っております。

アーメン

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