2024年2月14日(水)
<讃美歌>讃美歌317番「主イエスの血しおと」
<聖書日課>Ⅱコリント5章20~6章10節「神との和解」
人の最終目標は”神と和解すること”です。パウロは言います。「神と和解させていただきなさい」と。このパウロのことばは、二つのことを語っています。
一つは、すべての人は、かつてはまた今、神と敵対関係にあるということです。
神と敵対関係にあるのなら、その者は神の近くに行くことはできません。それは、すなわち天の御国に入ることができないということです。
しかし、この世の多くの方々は、今自分が神と敵対していることを知りません。 そのためパウロは、「私たちはキリストに代わる使節なのです」と言います。
それは、パウロの使命が、キリストを伝えることにあると言っているのです。 その使命を果たすために、パウロはさまざまな迫害や患難に耐えてきました。
パウロがどれほどの患難に耐えてきたかは、6章4節以降に記されています。
そこではパウロは、神から与えられた使命を果たすために、「苦難にも苦悩にも困難にも、むち打ちにも入獄にも騒乱にも、疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、大いなる忍耐を働かせて、‥」と語っています。
私たちは、人が神と和解するために、そのような忍耐を働かせてイエス・キリストを伝えてくれたことを感謝すべきです。
そして、20節のパウロのことばが語っているもう一つは、神があなたと和解したいと願っておられることです。
そのために、「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました」(21節)。 それは、もちろんイエス・キリストです。この21節のみことばで最も大切なのは、「私たちのために」です。
父なる神は、私たちと和解したいと願ってくださったので、まったく罪のないイエス様を罪とされ、そのひとり子を十字架につけて全人類の罪を贖ってくださったのです。
それゆえ、私たちは「イエス・キリストによって神の前に義なる者」とされたのです。 そこに神の愛があります。
その神の愛を知った時、パウロはどんなに喜んだことでしょうか。
6章10節で、パウロは、神の愛を教えられた喜びを「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています」と語っています。
私たちは、神と和解させていただいた者として、このパウロの喜びを自分のものとして、今日からの信仰生活を喜びに満ちたものとさせていただきましょう。
主の愛が、これからもあなたの上に豊かでありますように。
アーメン