2026年09月16日(水)
<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる」
<聖書日課>マルコの福音書11章20~25節「祈りの方向性」
ある朝、弟子たちは、前日にイエス様が呪われたいちじくの木が、根元から完全に枯れているのに気がつきました。 それを不思議に思う弟子たちに、イエス様は「神を信じなさい」と言われます。
イエス様は言われます。「神を信じて祈るならば、山に向かって海に入れ」といえばその通りになります。 私たちは、山を動かす力はありません。
しかし、いちじくの木を完全に枯らすことのできるお方は、何でもできるのです。ですから、イエス様はここで「神への全幅の信頼をもって祈りなさい」と言っておられるのです。
山とは、私たちの周りに降りかかってくる「困難な問題」です。 時として、私たちの周りには、自分ではどうしてよいか分からなくなるような困難な問題が起きます。
そのような時、私たちは自分で何とか解決しようと奔走しますが、イエス様はここで、「あなたの困難な問題を、主に委ねなさい」と言っておられるのです。
イエス様は、あなたに”揺るぎない完全な信仰”を求めておられるのではなく、”揺れながらも主に向かって祈る信仰”を求めておられます。
「神を信じなさい」とは、「祈りの方向性を神に向けなさい」という意味です。
ここで私たちは「困難な問題も、主に委ねて祈り、その結果も主に委ねなさい」と言われています。また、「主は祈りの結果も”最善な方向”へと導いてくださることを信じなさい」と言われています。
私たちは、自分の祈りを振り返った時、「どうして私にこんな問題が降りかかるのか」、「なぜ主は、祈りを聞いてくださらないのか」と不平が口をついて出てくることがあります。
イエス様は、そのような信仰姿勢を改めるように言っておられるのです。主に委ねる信仰からは、そのような不平不満は出て来ないからです。
そして、もう一つイエス様は「祈る前に人を赦しなさい」と言われます。赦さないことは、自分は正しいと主張することです。自分が正しい者であると主張する者は、主に自分を委ねることが出来ないのです。
私たちの祈りの方向性は、どこを向いているでしょうか。主にすべてを委ねて、祈り続ける者でありたいと願う者です。 アーメン