2026年04月22日(水)

<讃美歌>讃美歌290番「ガリラヤの風」

<聖書日課>ヨハネの福音書21章1~14節「破れない神の網」

イエス様が復活された時、墓に来た女たちに御使いが「ガリラヤに行くように。そこでイエス様と会えます」と言ったことばに従ったのでしょう。

今、弟子たちはガリラヤ湖の畔にいます。弟子たちの中の何人かは漁師でした。そこで彼らは、久しぶりに漁に出ました。

彼らは、ガリラヤ湖では、いつ/どこで/どのような魚が捕れるのかよく知っています。それで彼らは夜、漁に出ました。でもその夜は何も捕れませんでした。

それで明け方、漁をあきらめて岸辺に戻ると、イエス様が彼らに言われました。(この時は、弟子たちはその男性がイエス様だとは分からなかったようですが。)

「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます」。弟子たちは、半信半疑で言われたとおりに網を打ったところ、引き上げられないほどの魚が捕れたのです。

なぜ弟子たちは夜通し働いたのに魚が捕れなかったのでしょうか。湖に魚がいなくなったわけではありません。彼らの働きが不十分だったわけでもありません。彼らは一晩中、精一杯働いたのです。

この時の弟子たちの漁は、人のたましいを獲得するための宣教の働きを象徴しています。

イエス様がともにおられない時には、弟子たちがどれ程がんばって宣教の働きをしても、一人のたましいも獲得することはできません。

でもイエス様のことばに従う時、主がともに働いて励ましてくださる時、私たちは、たましいの大きな収穫を得るのです。

主がともに働いてくださる時、教会では一人ひとりの一致が強められ、心が内に燃やされ、祈りの声が止むことはなく、賛美の歌声は高らかに響いています。

それらは、新しいたましいを獲得するための福音宣教の網です。主のことばに従って、その福音宣教の網を用いる時、私たちは大きな収穫が与えられます。

そして主が私たちとともに働いてくださっているとき、私たちに与えられた福音宣教の網は、決して破れることなく用い続けることができるのです。

今、八鹿教会に与えられている福音宣教の網が、更に主によって用いられますように願っています。

アーメン