2024年4月10日(水)

<讃美歌>讃美歌271番「主は教会の」

<聖書日課>マルコ12章18~27節「生きている者の神」

サドカイ人は、「死後の復活はない」と主張するグループです。

私たちは、「そのような思想はおかしい」と思いますが、しかし私たちの周りにも、そのように死後の復活を信じない人は多くおられます。

私たちは、そのような人に囲まれて生活していると言っても過言ではありません。そのため、復活の教理を正しく理解することは大変重要です。

サドカイ人は、モーセ五書(創世記~申命記)だけを律法として認めていたため、復活の教理を受け入れませんでした。なぜなら復活の教理は、イザヤ書(26:19)やダニエル書(12:2)まで直接的には表れないからです。

それでサドカイ人たちは、自分たちの「復活はない」との主張を押し通すために、在りもしないような例話(20~23節)を作り出してイエス様に迫ったのです。

イエス様は、彼らの考えをハッキリと<思い違い>であると断定されました。

サドカイ人たちは、何を思い違いしていたのでしょうか。サドカイ人たちは、神の力の偉大さを思い違いしていたのです。

確かに復活は、普通の出来事ではなく、神の力による超自然的な出来事です。したがって、神の力の偉大さを正しく知っている者だけが、復活を信じることができるのです。

それでイエス様は、サドカイ人たちに神の力の偉大さを教えるために、神が『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と言われたことを引用されました。

イエス様のこのことばは、「神は生きている者の神である」ことが前提となっています。

アブラハム/イサク/ヤコブが、復活しないのであれば、『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であった』と過去形の表現になります。

イエス様は、「やがてアブラハム/イサク/ヤコブは死んで滅んだのではなく、今も生きていて、やがて必ず復活する」と教えられたのです。

だから私たちにとっても、「神は、私が死んで後も私の神」であり、私自身も、アブラハム/イサク/ヤコブと同じように、神の力により必ず復活させられるのです。

私たちも、神は私の肉体が死んだ後も私の神であることに感謝して、ますます復活の希望に生かされたいと願っております。

アーメン