<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」

<聖書日課>ルカ20章45~21章4節「感謝の表れ」

私たちは、罪の赦しの感謝、日々の信仰生活の守りや恵みにへの感謝の表れとして、神様に向かって感謝の奉仕や献金をささげます。

ですから、一般的に感謝の多い少ないによって奉仕の質や量及び献金の多い少ないも違ってくるのです。ある牧師先生は「教会の教勢は、礼拝出席者と献金額に現れます」と言われました。

今日は与えられた箇所から、教会生活の心得について考えます。

教会生活の基本は、神様への感謝です。

(1) 神様に感謝する者は「自分は、自分は」と言って、他の人に自分を主張することはできません。

そのためイエス様は、「律法学者たちには気をつけなさい」と言われました。

律法学者は、自分が他の人に目立つことを優先しました。 長い衣をまとって歩き回り、会堂や宴会の上席を好み、見栄のために長い祈りをする。 これらの行いは、律法学者の高慢な心から出て来るものです。

イエス様は「右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい」(マタイ6:3)と言われました。 神様は隠れた行いも見ておられます。

(2) 神様に感謝する者は、すべてを神様にささげます。

イエス様は、宮の献金箱に多額の献金を投げ入れる金持ちよりも、レプタ銅貨二枚を入れた一人のやもめを喜ばれました。レプタ銅貨二枚とは、200円ぐらいでしょうか。

金持ちは、あり余るものの中から一部だけを入れましたが、やもめは生活費の全部を入れたからです。

「献金は額ではない」と言われます。その通りです。でも、神様への感謝の気持ちが額に表れるのも事実です。

それでは、私たちは、神様への感謝をどのように現わしているでしょうか。感謝の表れは、誰かから強制されるものではなく、あなたの心から泉のように湧いて来るものです。

私たちは、やもめは「神様、私はこれしか持っていません。助けてください」と言って、レプタ銅貨二枚を投げ入れたように考えがちですが、彼女は喜んでささげたのです。

その彼女の感謝の心は非常に大きいものがあったのです。私たちも、イエス様への大きな感謝をもって、日々の信仰生活をささげさせていただきましょう。

そのようなあなたへの神様からの祝福も非常に大きいものとなるでしょう。

アーメン

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