2023年8月30日(水)

<讃美歌>讃美歌360番「神をほめまつれ」

<聖書日課>マタイ26章6~13節「愛に応える」

いよいよイエス様が十字架に付く時が迫ってきました。今イエス様は、エルサレムから3Kmほど離れたベタニヤの村におられます。

イエス様は、エルサレムに行かれた時は、夕方にはベタニヤに戻って来て休まれました。この家は、マルタ/マリヤ/ラザロの兄弟姉妹の家でしょう。

イエス様に香油を注いだのは、マリヤです。マリヤは非常に感性の鋭い女性だったようです。ある時は、イエス様や弟子たちのお世話を姉のマルタにまかせて、イエス様の足もとに座り、話に聞き入っていました。(ルカ10章38~42節)

ここでもマリヤは、彼女の鋭い感性をもってイエス様に近づきました。手には高価な香油が入った壺を持っていました。

そしてマリヤは、惜しげもなくその香油をイエス様の頭に注いだのです。おそらくその香油は、マリヤの持っている全財産だったのでしょう。

弟子たちは、マリヤの行為に「無駄なこと」として憤慨しますが、イエス様は黙って彼女の行為を受けられました。 弟子たちには、彼女の悲しみが分からなかったのです。

マリヤは、もうすぐイエス様にお会いすることができなくなることを感じ取ったのです。それで、今しかできないことを、いや、今できる最大限のことをしたのです。

マリヤは、この日の数日前に弟ラザロを生き返らせてもらいました。(ヨハネ11章1~44節)

マリヤは、この日までにイエス様からいろいろな話を聞きました。

マリヤは、イエス様の行いを見て、また話しを聞いて、イエス様がキリストであることを信じたのです。

そのイエス様が、もうすぐいなくなる。マリヤの信仰は、彼女に、イエス様の愛に応えることを教えました。 マリヤの香油注ぎは、イエス様の愛への応答だったのです。

イエス様は彼女の純粋な信仰を喜ばれ、「この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます」と言われました。

それでマリヤの香油注ぎは、イエス様への愛の応答として聖書の中に組み込まれ、讃美歌「ナルドの壺」にも歌われています。

私たちがマリヤから教えられるべきは、香油を注ぐことではなく、彼女の愛の応答です。

私たちも、イエス様から多くの恵みをいただいています。感謝しても、し尽せないほどの愛をいただきました。 いただいた最も大きなものは、永遠のいのちです。

私たちの心にも、マリヤと同じように、主の愛に応えたいとの想いがあるでしょう。その想いを、素直にイエス様に向けようではありませんか。

「イエス様、私をここまで導いてくださり感謝します。永遠のいのちを約束してくださったことを感謝します」。 あなたはその感謝の想いをもって、何をイエス様に注がれますか。

これからのあなたの信仰生活が、イエス様の愛への応答として相応しいものとなりますように願っております。 アーメン

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