2026年06月17日(水)

<讃美歌>讃美歌394番「主よ終わりまで」

<聖書日課>ルカの福音書6章12~19節「忠実な弟子」

旧聖歌433番に「弟子となしたまえ」という讃美歌があります。その折り返し部分は「心の底より 弟子となしたまえ わが主よ」です。

その歌詞は、主の弟子となることは、心の底から湧き出てくる”主に仕える想い”がなければならないことに思い至らせます。

生半端な気持ちでイエス様の弟子になることはできません。弟子の働きには、覚悟が伴うからです。

そのためイエス様は12弟子を選ぶために、一人で山に入り、一晩中祈られました。何を基準に選ばれたのでしょうか。一人ひとりの弟子には、その者の役割があります。

ペテロは、弟子の中でリーダー的存在になる者として選ばれたのでしょうか。ヨハネは、若者でちょっと短気な面もありますが、真っすぐな性格が福音宣教に向いていたのでしょうか。

でも私は思います。イエス様が、最も深い祈りをもって決められた弟子は、イスカリオテ・ユダではないか。このユダを選ぶために、主は一晩中父なる神に祈られました。16節『このユダが裏切る者となった』。

もちろんイエス様は、裏切る者とするためにユダを選ばれたのではありません。裏切ったのは、ユダの罪のためです。でもイエス様は、すべてをご存じの上で12弟子たちを選ばれたのです。苦しい決断だったに違いありません。

冒頭の聖歌433番の4節には「ユダにはなるまい。わが主よ、わが主よ。」と歌われています。

そして主は、私たちのためにも祈ってくださり、一人ひとりを世の罪の中から、恵みの選びの中に入れてくださいました。

私たちが、イエス・キリストを信じる者とされた背後には、多くの人の祈りがありました。その祈りが聞き入れられ、あなたはイエス様の弟子とされました。弟子の働きは、人々にイエス・キリストを伝えることです。

一人ひとりの特性は違いますが、遣わされたところでペテロやヨハネのように、主の祈りに応える者として、イエス・キリストに仕えさせていただきましょう。

その時、主はあなたを<忠実な弟子>として用いてくださいます。

これからのあなたの弟子としての歩みが、祝福に満ちたものでありますように祈っております。

アーメン