<讃美歌>讃美歌357番「主なる神を たたえまつれ」

<聖書日課>ルカ19章11~27節「忠実なしもべの報酬」

当時の人々は、イエス様がエルサレムに入場されたため、神の国がすぐにでも来るように思っていた者が少なからずいたようです。

そのような者たちにも、働かなければならないことを教えるためにイエス様はこのたとえ話をされました。

イエス様は、十字架で死なれ復活され天に戻られました。そして再び王として地上に来られます。その時は、裁き主として来られるのです。

イエス様が、天に戻っておられる間、私たちは福音を語らなければなりません。そのためにイエス様は一人ひとりに1ミナずつ与えられました。

1ミナとは100日分の労賃であり、今で言えば100万円程度でしょうか。 その程度のお金では、それほど大きな事業はできません。大きな結果も期待できません。

もちろん1ミナとは、私たちに与えられた小さな才能です。

第一の者は、1ミナで10ミナを儲けました。その者は、10の町を支配する者とされました。それは非常に大きな報酬です。

地上での小さな働き、それは忠実な小さな働きですが、天におけるその報酬は非常に大きいのです。

すべての人は、何らかの小さな才能が与えられています。イエス様は「わたしが与えた才能を使いなさい。わたしは、あなたに大きな報酬を与えたいのだ」と言われているのです。

しかし、与えられた才能を主のために用いない者がいます。イエス様が王になるのを好まなかった者です。

その者は、「あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方です」と言っているように、神の栄光をまったく表したいと思わない者です。

その者は、持っているものまで取り上げられ、最後は殺されてしまいます。それは、永遠の滅びに定められることです。

では私たちは、どのようにすれば与えられた1ミナの才能を用いることができるのでしょうか。それは、主イエス・キリストへの感謝です。

私たちが、罪赦されたものとして、イエス様への感謝を示したいと願うときに、主はあなたの1ミナを用いてくださいます。

私たちのイエス様への小さな感謝が、大きな報酬として戻ってくるのです。 私たちは、その大きな報酬を楽しみとして、神の国を待ち望みましょう。

Write a comment:

*

Your email address will not be published.