2026年05月13日(水)
<讃美歌>讃美歌370番「靜けき祈りの」
<聖書日課>ヨハネの福音書16章16~24節「復活の喜び」
『わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます』。(16章23節)
このことばは、キリスト者の特権を表していることばです。
イエス様は弟子たちに語られました、『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』。もちろんこのことばは、イエス様の十字架の死と復活を預言したことばです。
十字架を目の当たりにする弟子たちの心は悲しみに包まれますが、復活を教えられた弟子たちの心は、十字架の悲しみを補って余りある喜びに満たされます。
その復活のイエス様と結ばれた者が、主の御心に一致して求めるすべてのものを、主は与えてくださいます。 それを教えられたことばが、冒頭のイエス様のことばです。
ともすれば私たちは、自分の欲に従って、「イエス様の名によって祈ります」と言えば何でも欲しい物が与えられると理解します。 それはその者が、本当の復活の喜びを知らないからです。
私たち信仰者は”復活の喜び”と聞けば、死後の永遠のいのちの喜びと理解します。それはそれで素晴らしい喜びです。
しかしながら、ここでイエス様が語っておられる喜びは、死後の喜びではなく、今この地上で生かされている者が、復活の主と心を一つにして、父なる神に求めるすべてのものを与えられる喜びです。
その喜びは、イエス様の復活の喜びが、自分の復活の喜びと強く結びついた者だけが味わうことのできる喜びです。
パウロはその喜びを、<御霊の実>と表現しています。 (ガラテヤ5章22節) 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
あなたが、イエス様の名によってそれらの<御霊の実>を求めるなら、神は必ず与えてくださいます。私たち信仰者が、その御霊の実を求めつつ地上の信仰生活を続けられることこそ「復活の喜び」です。
八鹿教会の一人ひとりが、今日も復活の喜びを感じつつ、主に活かされますように願っております。
アーメン