2023年7月26日(水)

<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」

 <聖書日課>マタイ12章15~21節「弱き者の強さ」

『彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない』。(マタイ12:20)

およそ、いたんだ葦ほど弱いものはありません。くすぶる灯心ほど消えてしまいそうなものはありません。 イエス様は、そのように弱いものにも優しく接してくださいます。

イエス様は、ご自分について来て憐れみを求める多くの人々の病を癒されました。福音書記者マタイは、その出来事はイザヤ書の預言の成就であると言っています。

イエス様は、肉体的に弱っている者を憐れみ、ほとんど倒れそうになっている者に助けの手を差しのべてくださいます。イエス様は、精神的に落ち込み、ほとんど自暴自棄になっている者に支えの手を差し出されます。

人は周りに弱い人がいれば励まそうとします。「がんばれ!」と声をかけます。

でも、弱っている者は、頑張る力が無いのでそれ以上歩けないのです。精神的に落ち込んでいる者は、気力が出て来ないので自分の中に引きこもるのです。

イエス様はそのような弱い者に、「そのままでいい。わたしに頼りなさい」と優しく声をかけられます。私たちも、年を重ねることにより、また病になって弱くなることがあります。

私たちも、いろいろな精神的な重荷、親のこと、子どもたちのこと、仕事のこと等で落ち込むこともあります。そのような私たちに、主は「そのままでいい。わたしに頼りなさい」と言われるのです。

私たちは、自分が思っているほど強くはありません。すぐに行きづってしまいます。しかし私たちは、主にあっては強い者とされているのです。

「主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てにならない」からです。(詩篇94:14)  人は、弱い時こそイエス様に頼って強い者とされるのです。

これからも、私たちはイエス様に頼り、主から大きな恵みを受けて強くされようではありませんか。

パウロは言います。「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」。(Ⅱコリント12:9)

弱き者の弱さを知っていてくださるイエス様の内にこそ、私たちの強さの秘訣があるのです。

八鹿教会の一人ひとりも、さらに主に頼り、喜んで自分の弱さを誇る者とされようではありませんか。

アーメン

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