<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」

<聖書日課>ルカ11章14~28節「幸いな人」

口のきけない者が、ものを言うようにすることは神のわざです。

『そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う』(イザヤ35:6)と記されています。

しかしイエス様に反対するユダヤ人たちは「悪霊どものかしらベルゼブルによって悪霊を追い出しているだけだ」とイエス様への批判をさらに強めました。

それに対して、イエス様は『どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます』と言われます。

教会も同じです。教会にはいろんな者が集まっています。生活も違いますし、考え方も違います。

ただ、「イエス・キリストが、自分の罪からの救い主であることを知っている」者が集まっています。

ただ、その事だけ一致しておけば、教会が分裂することはありません。

私たちの心は、以前は、罪に支配されていました。悪い霊に占領されていたのです。

その悪い霊をイエス様が追い出してくださいました。

悪霊よりもさらに強い力を持つイエス・キリストが働いてくださり、私の心から悪い霊を追い出してくださったのです。あなたは、そのことを心から感謝しているでしょうか。

もしあなたの心を占領していた悪い霊が出て行って、またあなたの心に戻ろうとしたとき、そこは空き家同然で、何も入っていなければ、

悪い霊はさらに仲間を呼んで来てあなたの心を以前よりさらに悪くしてしまいます。

イエス様はあなたに語っておられます。「あなたの内にいた悪い霊は、わたしが追い出した。

さあ、今度は、あなたの心をわたしに明け渡しなさい。わたしがあなたのこころを満たしてあげよう」と。

イエス様の話を聞いて、ひとりの女が叫んでいます。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです」と。確かにイエス様の母マリヤは幸いな人です。

マリヤ自身が『ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう』(ルカ1:48)と言っています。

しかし、幸いな者はマリヤ一人ではありません。いや、マリヤよりもっと幸いな人は『神のことばを聞いてそれを守る人たちです』。

私たちは、この世にあっていろいろな重荷を背負って生きています。その重荷を一人で背負おうとすれば、つぶれてしまします。

それらすべてをイエス様にお任せしようではありませんか。

それが、主に自分を明け渡すことであり、イエス様に私の心を占領していただくことです。

そのようにするとき、神様はあなたに「神のことばを守る力」を与えてくださるのです。

『あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。

主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない』(詩篇55篇22節)。

それを心から信じる人が、”幸いな人”です。

アーメン

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