<讃美歌>讃美歌333番「山辺にむかいて われ」

<聖書日課>ヨハネ20章19~23節「平安があなたがたにあるように」

イエス様が復活された日の夕方です。

イエス様は、弟子たちに二度『平安があなたがたにあるように』と言われています。

その日、弟子たちの心は明らかに平安ではなかった。

19節に『ユダヤ人を恐れて戸が閉じてあった‥』と書かれているように、弟子たちは「次は自分たちが逮捕されるのでは、‥」と不安でいっぱいでした。

そんな弟子たちの真ん中にイエス様が立たれました。閉じられた戸も、復活の主を遮ることはできません。

その時、最初の『平安があなたがたにあるように』を言われました。

弟子たちの不安の原因は何だったのでしょうか?それは、イエス様が共におられないことにありました。

それまでの宣教活動においても、嫌がらせや迫害は何度もありました。でも、イエス様が共におられたとき、イエス様は弟子たちの大盾となって彼らを守ってくださいました。それで弟子たちは平安でした。

今、弟子たちは十字架で失ったイエス様を取り戻しました。それで弟子たちの不安は平安に変わりました。

そこでイエス様はもう一度『平安があなたがたにあるように』と弟子たちに言われました。

それはイエス様が弟子たちを福音宣教のために、各地に遣わされる準備として言われたことばです。

福音宣教の働きは、弟子たちだけではできない働きです。それには無理解や迫害がつきものです。

弟子たちだけでは、不安ばかりが大きくなって福音宣教を進めることはできません。

イエス様は、その事も良く知っておられ、ここで『聖霊を受けなさい』と言われるのです。

弟子たちが聖霊を受けるとき、聖霊は、何が正しいのかをはっきりと教えてくださり、心から不安を取り去り、心を平安で満たしてくださいます。

弟子が聖霊を受けることは、イエス様がその弟子と共におられることなのです。

20節で「弟子たちは、主を見て喜んだ」とありますが、これは弟子たちが、イエス様が死をも打ち破る力を持っておられることを知って喜んだのです。

私たちももっと喜ぼうではありませんか。私たちもその同じイエス・キリストを知っているのですから。

私たちも、聖霊を身に受けているのですから。

そしてその喜び、「イエス・キリストが私の罪からの救い主であること」を周りの人々に知らせようではありませんか。主イエス・キリストがあなたとともにおられます。

「主の豊かな平安が、あなたにあるように」

アーメン

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