<讃美歌>讃美歌451番「立てよつわもの」

<聖書日課>ルカ22章31~33節 & 54~62節「希望の涙」

神様は、サタンの願いを聞き入れられる時があります。31節「シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました」。

サタンの願いは、人を神様から引き離すことです。神様とサタンの会話はこのようなものだったのでしょうか。

サタン:「神様。シモンはいつもイエス様がそばにいるから、何とか信仰を保っています。シモンを誘惑してもよろしいでしょうか。」

神 様:「では、イエスが彼から離れた時、お前がシモンを誘惑することを許そう。わたしはイエスとシモンをよく知っている。」

それでサタンは、イエス様が逮捕され弟子たちから引き離されて、裁判を受けておられるときを狙いました。

ペテロは心に不安を持ったまま、イエス様の裁判を見ていました。54節の「遠く離れて」は、彼の信仰が揺れ動いていることを物語っています。

サタンはその機会を逃しませんでした。シモン(ペテロ)は、次は自分が捕まるのではと恐れていました。人は、イエス・キリストから離れたとき、恐れを抱き誘惑に陥りやすいのです。

ペテロは、周りの人の「あなたもイエスの仲間だ」との何気ないことばを恐れました。それで、そのことばに3回も否定したのです。「ごいっしょなら、死であろうと、覚悟はできています」(33節)と豪語したペテロです。

ペテロは、鶏の鳴き声に、自分の信仰の情けなさを教えられました。ペテロは激しく泣きました。後悔の涙です。

しかし、ペテロはイエス様のことばを忘れていました。「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」。(32節)

その時ペテロは、自分一人で立っていると思っていました。ペテロは知らなかったのです。イエス様は、その時も彼とともにおられることを知らなかった。

だから、そのことを教えるために「振り向いてペテロを見つめられた」(61節)のです。

それ故、その時ペテロが流した涙は「後悔の涙」だったかもしれませんが、イエス様は彼の涙を「希望の涙」としてくださいました。

その涙によって、ペテロは自分の罪(高慢さ)を悔い改め、生涯イエス・キリストに従う者とされたのです。

この時ペテロは、「自分はイエス・キリストから離れては何もできないこと」を教えられたのです。

私たちも「後悔の涙」を流す必要はないでしょうか。 イエス様に助けていただかなければ、何もできないことを知っているでしょうか。

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