<讃美歌>讃美歌26番「いそぎ来たれ、主にある民」

<聖書日課>創世記37章2~11「崇めるべきはイエス・キリスト」

今日の箇所は、ヨセフの夢としてよく知られた箇所です。

どうしてヨセフは、兄たちや両親に自分の見た夢を話したのでしょうか。そのような夢を話せば、兄や両親が怒ることは容易に想像できます。

ヨセフは、父ヤコブに甘やかされて特別扱いされ、思いあがっていたのではないでしょうか。 そのようなヨセフの思い上がりが原因となって、ヨセフは兄たちによってエジプトへ売られることになってしまいます。

もちろん、そのようなヨセフの行いは褒められたものではありません。でもそのような思いあがる者(罪人)をも用いて、神様はご自分のご計画を成し遂げられます。

その後、ヨセフや兄たち、すなわちヤコブの一族がどのような生涯を送ることになるか、私たちはよく知っています。

ヨセフは、エジプトで大臣になり、ユダヤ民族がエジプトで寄留者となるきっかけとなったのです。

ヨセフは、思い上がりの強い罪びとでした。そして、そのヨセフの姿は、豪の強い私たちの姿です。ヨセフが、その後エジプトで大出世して大臣になったのは、神様のご計画を実現するためでした。

私たちも、イエス・キリストを信じて罪を悔いた者です。神様は、そのような私たちを選んでくださり、ご自分のご計画を実現しようとされているのです。

ヨセフが、神様のご用のために用いられる人物となったのは、自分の思い上がりの罪を悔い改め、神を第一とすることを教えられたからです。

ヨセフと同様に、私たちも自分の罪を悔い改めて、神のご用のために用いられることを願った者です。 そのために、私たちは世の欲から切り離されなければなりません。

私たちが、世の欲から切り離されることは、神様としっかりと結び合わされることを意味します。

神様は、ヨセフと同じような罪人(私)を用いようとされているのです。

そのために、私たちがなすべきことが、しっかりとイエス・キリストを見つめることです。そのとき、私たちもヨセフと同じように、傲慢な罪人から神のご用に足る者と変えられるのです。

このクリスマスの時、皆様方が、尚も主に祝福されますように祈っております。

アーメン

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