<讃美歌>讃美歌271番「主は教会の基となり」

<聖書日課>マタイ18章1~14「小さいものを尊ぶ」

この箇所では、信仰生活の基本原則が記されています。それは、「小さな者、弱いものを憐れむ」ことです。ともすれば、人は派手な者、権力を握っている者に目を向けがちです。

それは、この世ではそのような人たちの方が、影響力があるからです。

しかしながら、イエス様は「子どもたちのように小さな者でありなさい」と言われます。それは、言い換えれば「あなたがたは、小さな者、弱いものを憐れむ心を持ちなさい」ということです。

私たちがこの原則を学ぶことは大変大切です。イエス様がそのことを、身をもって教えてくださったからです。

イエス様はすべての権威/権力を持っておられる方であるにもかかわらず、自ら小さき人となって私たちの間に住んでくださいました。

ではイエス様はここで、「あなたも努力して、小さな者になりなさい」と言っておられるのでしょうか。

イエス様は3節でこのように言われています。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません』。

ここで大切なことばは「悔い改めて」です。欄外の注を見ますと「向きを変えて」とあります。向きを変えるとは、心の向きを変えることです。もちろんイエス・キリストに心を向けるのです。

イエス様は、家畜小屋で生まれてくださいました。ガリラヤの大工の息子として育てられました。重い病人に寄り添い癒してくださいました。犯罪人とともに、十字架につけられ死んでくださいました。

これほどまでに、小さな者となってくださった方は他にはいません。そのイエス様に心を向けることは、私たちがイエス様から謙虚さを教えられることです。

人は、自分の努力で謙虚な者となることはできません。イエス様がこの世で小さな者(謙虚な者)となられたのは、あなたが小さな者とされるためです。

私たちは、この世において天の御国を先取りする者です。

そのような者である私たちは、遣わされた所で主にあって謙虚な者となるために、いつもイエス・キリストに心の目を向ける者とされましょう。

それが、私たちが”子どもたちのようになる”ことです。主は、そのようなあなたを待っておられます。

アーメン

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