2023年9月13日(水)

<讃美歌>讃美歌393番「わが主イエスよ」

 <聖書日課>マタイ21章18~22節「実を結ぶ信仰」

この奇跡には、いろいろな解釈があります。その中で私は、ここにイエス様の信仰者への期待が表されているように思います。

時期は、過ぎ越しの祭りの時なので春です。春はいちじくの実がなる時ではありません。しかし、このいちじくの木には葉はありました。葉が茂っていたので、実もあるのではと思われたのでしょうか。

でも近寄ってよく見ると、実は一つもなかった。それで主は、そのいちじくの木を枯らされました。

そのいちじくは、外見だけはよく見えるが、実を結ぶことのない信仰者の姿を現しています。

具体的には、律法を守ることばかりを強調して、神様の真意を理解しないパリサイ人や律法学者を表しています。そのような神のために実を結ばない者は、結局は役に立たない者として滅んでしまいます。

そのことは、枯れたいちじくの木は、私たち信仰者への注意喚起でもあります。

主は、このいちじくの木の奇跡を通して「あなたの信仰は見せかけの信仰ではないか」と問われているようです。

パリサイ人や律法学者は、見せかけの葉っぱばかりが大きくて、肝心の実を結ぶことはありませんでした。 いちじくの実は、大きな葉っぱの裏で目立たないように成熟します。

同じように、主の実は謙虚な人の内に目立たないように育つのです。

そしてイエス様は、そのような信仰者が、信じて祈り求めるものは何でも受け入れられると言われます。山に向かい、「立ち上がって、海に入れ」と言えば、その通りになると言われます。

信仰者の祈りには大きな力があります。教会の中には、山のような大きな課題が生じることもあります。

それらの課題も、人には解決できそうになくても、信じて祈るときに、神が解決へと導いてくださるのです。 それが、祈りによって山が動く時です。

私たちも、主の前に謙虚なクリスチャンとして、信仰の実を結ばせていただきましょう。

アーメン