<讃美歌>讃美歌289番「すべての人に 宣べ伝えよ」

 <聖書日課>マタイ10章5~23節「失われた羊への宣教」

イエス様は12弟子を任命された後、彼らを宣教に遣わされました。宣教の目的は、イスラエルの失われた羊を取り戻すことです。

失われた羊とは、羊飼いのいない羊であり、主のみことばによって正しく養われていない人々の姿です。

人々は、養われるどころか、パリサイ人たちによって律法を守ることを強要され、それに疲れ切っていました。人々の表情からは、信仰の喜びは消えていたことでしょう。

そこで、イエス様が12弟子たちに「天の御国が近づいた」と叫ぶように命じられました。

そのことばは、「律法によって明らかにされた罪から、あなたを開放する救い主が来られた」と宣べ伝えることです。

その宣教の手段としてイエス様は、弟子たちに病人を癒し、死人を生き返らせ、ツァラアトに侵された人をきよめ、悪霊を追い出すように言われました。

それらのわざは、神だけができる業であり、弟子たちがそれらのわざを行うことによって、人々に救い主が来られたことを証しして、罪からの解放へと導くものです。

私たちは、病人を癒すことも、死人を生き返らせることも、悪霊を追い出すこともできません。

しかし、かつて神の前から失われた羊であった私たちは、神の憐みにより、イエス・キリストを信じ、罪の滅びから解放され、永遠のいのちの喜びを人々に伝えることができます。

そのことは、12弟子たちが「天の御国が近づいた」と宣べ伝えたように、あなたが周りの方々に救い主キリストがすぐ近くにおられることを伝えることです。

ただイエス様は、イエス・キリストの福音を伝えるあなたに一つだけ注意しておられます。「自分の力で福音を伝えようとせず、聖霊によって話しなさい」と言われます。

それは、イエス様が12弟子に『話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです』(20節)と言われている通りです。

そのイエス様のことばは、弟子たちにも迫害が及ぶことを言われたことばです。

私たちも、福音を伝えようとする時には、いろいろな無理解に遭いますが、主は「何を話そうかと心配するには及びません」(19節)と言われます。

私たちは、イエス・キリストの十字架によって罪が赦され、救われた者として、更に喜んで日々の信仰生活を過ごさせていただきましょう。 その時にあなたは、失われた羊を一人見い出すことになります。

アーメン

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