2026年10月28日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる」

<聖書日課>マタイの福音書19章16~22節「天の御国を受け継ぐ者」

この裕福な青年は、永遠の命を得るためには、律法を守って非の打ち所がない者でなければならないと考えていました。 ですからこの青年は、小さい時から律法の教えに忠実に従ってきました。

しかし律法は、その青年に平安を与えませんでした。律法を守っても守っても「まだ何か足りない」と感じたのです。「律法は、人に罪を教えますが、心の平安は与えません」。

この青年は、どうしても律法から抜け出せませんでした。だからイエス様に「どんな良いことをすればよいのか」と尋ねたのです。

青年は<完全な者>になることを目指していたのです。だからイエス様は「完全になりたいのなら、‥あなたの財産を売り払って‥」と言われています。イエス様も、青年が「財産を売り払うことができない」ことはご存じです。

ではイエス様は、ここでこの青年に何を教えられたのでしょうか。イエス様は、永遠の命が人間の完全さによってではなく、神の恵みによって与えられることを教えられたのです。

確かに、律法の要求事項をすべて守ることができれば、その人は完全な者となります。しかしながら、もともと罪を持って生まれてくる者が、すべての律法を守って完全な者となることはできません。

この青年はいいところまで来ていました。永遠の命を得るためにイエス様のところに来たからです。

でもイエス様のことばを聞いて、「永遠の命は、今自分が持っているすべての財産に優るもの」であることを理解できなかったところに、彼の悲しみがありました。

イエス様はその青年に、このように語っておられます。「あなたは自分の努力では完全になれない。だからわたしに従いなさい」と。 そうですイエス様は、その青年が頼りにしていた財産を捨てて、ご自分に頼るように勧められたのです。

永遠のいのちには、何ものにも代えがたい価値があります。そこに真の平安があるからです。私たちも、永遠の命を得ている者ですが、そこに真の平安を見出しているでしょうか。

イエス様が「私の永遠の命のみなもと」であると教えられた者は、何をさておいてもイエス様に従う者とされます。

私たちは、さらにイエス様に近づき、イエス様からまことの平安をいただこうではありませんか。そのように主に従う者は、神の恵みによって天の御国を受け継ぐ者とされ、永遠の命を得るのです。