<讃美歌>讃美歌412番「父の神 このわれを」

 <聖書日課>マタイ6章1~6、16~21節「天にたくわえる宝」

このイエス様のことばは、<山上の説教>と呼ばれるイエス様の代表的な説教の一部です。ここでイエス様は、「偽善者たちのようであってはならない」と言われています。

ここでの偽善者とは、本当は罪びとであるのに、「私は善人だ」と吹聴する者のことです。イエス様は、目の前の弟子たちや群衆に向かって、偽善者の特徴を挙げておられます。

・人前で善行をする。 ・人前で祈ることが好きである。 ・やつれた顔つきで断食をする。

それは、彼らが「私は、神様の言われることを忠実に守っている者です」と言っているようなものです。

偽善者とは、神様よりも周りの人を意識して、常に「人からよく見られたい」と願う者です。言い換えれば、偽善者とは神様の評価よりも、人の評価を優先する者です。

イエス様は「隠れた所におられる神に見ていただきなさい」と言われます。それは、「神様だけを意識しなさい」との意味です。

私たちクリスチャンも、この世で生活しているため、世の人々をまったく意識しないことはできません。しかし、神様の評価よりも世の人の評価を意識するのは間違いです。

また、神様は私たちの隠れたところでの行いを見ていてくださり評価してくださいます。

イエス様は、そのことを「宝を天にたくわえることだ」と言っておられます。

偽善者は、自分の宝を地上にたくわえようとします。それは、地上のことに心が奪われているからです。 しかし、私たちの国籍は天にあります。(ピリピ3章20節)

そのような者として、地上で生かされている私たちは、常にイエス様を意識して生かされたいものです。そのようなあなたが、宝を天にたくわえているのです。

私たちは、いつもイエス様に心を向ける者として、天に宝をたくわえ続けたいと願っています。

アーメン

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