2023年8月23日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる」

<聖書日課>マタイ8章1~13節「勇気ある信仰と神の愛」

私たちはここに、二人の勇気ある信仰を見ることができます。

一人は、ツァラアト(らい病)に冒された男の信仰です。ツァラアトは、不治の病です。ツァラアトに冒された者は、人里離れた谷間等に隔離され、そこで死んで行くのです。

決して町の中に入って人々に近づくことは許されません。 もし、人に近づくときは、大声で「私は汚れています」と叫び続けなければなりません。

この男も、他のツァラアトに冒された者と一緒に生活していたのでしょう。その生活の場は、まったく希望のない所でした。癒される可能性のない病にかかり、死を待つだけの絶望の毎日です。

そこに希望の光が差し込んできました。イエス様のうわさが飛び込んできたのです。 病人を癒し、力ある神のわざを幾つも行われた。

「イエス様なら、ツァラアトを治してくださる」。その男は、そこに希望を持ちました。同じ病の仲間にも話したでしょう。「一緒に、イエス様のところに行こう」と。

でも他の者は誰も、人前に出る勇気はありませんでした。イエス様の周りには、常に多くの群衆がいるのです。 男は、一人で出かけました。周りの目も気になったでしょう。

でも、直りたい一心で、イエス様一人だけを見て進みました。 やっとイエス様の前に出て、ひれ伏し言いました。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」。

本当は、この男は、「私の患部にさわってきよめて下さい」と言いたかったでしょう。 でも、とても「ツァラアトの私にさわってください」とは言えなかった。

イエス様は、その男の気持ちに、最大限の愛をもって答えられました。触ってくださったのです。ツァラアトに冒された者は、近寄るのも避けられるのです。そのような者に触れて癒してくださった。

ここに神の愛があります。

もう一人は、カペナウムの町の百人隊長です。百人隊長ですのでローマ人です。 彼のしもべの一人が中風で苦しんでいた。それで癒して欲しいと思い、イエス様のところに来たのです。

ローマ人の地位ある人です。社会的身分は、イエス様よりはるかに上です。しかし彼は、イエス様の内に神の力を見たのです。そして、勇気をもってイエス様にお願いするためにやって来たのです。

8節の百人隊長のことばに、彼の信仰が現われています。「あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。 ただ、おことばを下さい」。その時、彼のしもべは癒されました。

百人隊長は、イエス様の内に神の権威を認めたために、社会的に自分よりもはるかに低い地位のイエス様に、このことばを言うことができたのです。 イエス様は、この百人隊長の信仰に驚かれました。

ツァラアトの男も百人隊長も、その時の最大限の勇気をもってイエス様の所にやって来ました。その勇気ある行動に、イエス様は神の愛をもって応えてくださったのです。

真の信仰は、勇気ある行動を引き出すのです。 八鹿教会の皆様方も、今一度、イエス様を見直していただきたい。イエス様は、あなたに何をしてくださったのか?

その時あなたは、主を大胆に証しする勇気を与えられるのです。 また、そのようなあなたに、主は神の愛をもって答えてくださいます。

主の愛に感謝して、 アーメン

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