2024年03月20日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」

<聖書日課>ヨハネ12章34~50節「光の内に歩む」

イエス様は、十字架について血を流される直前まで一人でも多くの人を救うために語り続けられました。実にイエス様は、そのために世に来られたからです。そのことは、イエス様が『わたしが来たのは、

世をさばくためではなく、世を救うためだからです。』(47節)と言われている通りです。

それでイエス様は、人々に『あなたがたは光があるうちに歩きなさい』と言われます。

もちろんこの光は、イエス様のことです。そして光の内に歩む目的は、光の子どもとなるため(36節)です。 その光の子どもは、イエス様を救い主と信じて、神に向かって歩きます。

神がどのようなお方であるかを知ること。それが人の最終目標です。そのためにイエス様は世に来られました。そして多くのことを語り、多くのわざを行われたのです。

しかしながら、世の多くの人は、依然としてやみの中に留まり光の内に歩むことを拒否しました。その状況は、イエス様の時代も21世紀の私たちの時代もまったく同じです。

イザヤの預言(38,40節)のように、人々は光であるイエス・キリストを見ようとしません。「主は彼らの目を見えないようにされた。また、彼らの心を頑なにされた」からです。(40節)

しかし、それにもかかわらず、ユダヤ人の議員の中にもイエス・キリストを信じた者がいました。彼らは、光の中を歩む者の一人でした。でも、彼らの歩みは、まだまだ弱々しい歩みでした。

彼らは、まわりのパリサイ人たちの目を気にして、イエス様を信じたことを告白しなかったからです。

私たちは、そのような議員たちの弱々しい歩みに、自分の歩みを重ね合わせないでしょうか。イエス様は、私たちに言われています。「あなたは、わたしを信じる者として、力強く歩みなさい」と。

でも私たちは、周りの人の目を気にして、ご自分の信仰を曖昧にすることはないでしょうか。

私たちが光の中を歩むとは、イエス様を通して父なる神を見ることです。私たちが、光の中を力強く歩むとは、イエス様を通して、父なる神をハッキリと見させていただくことです。

イエス様は言われます。『わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのです。』(45節)

私たちは、光の中を歩む者として、これからも力強く光の中を歩ませていただきましょう。その時、主はあなたをご自身の証人として用いてくださいます。

アーメン