<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」  

<聖書日課>マルコ11章12~14,20~24節「信仰の力」

イエス様は、葉の茂ったいちじくの木を、ことばによって枯らされました。この奇蹟は、イエス様が行われた多くの奇蹟の中で唯一破壊的結果をもたらした奇蹟です。

12節の初めに”翌日”とありますが、この日は、イエス様の「エルサレム入場」の翌日です。すなわち、過ぎ越しの祭りの時期であり、季節は”春”です。

そのような季節にいちじくの木には実はありません。何のために、イエス様はこの奇蹟を行われたのでしょうか。

それを示唆する出来事が、15~18節に記されている<宮きよめ>の出来事です。

ユダヤ人たちは、表向きは、自分たちの信仰深さを見せびらかすように断食し、人前で祈り、「律法、律法」と叫びます。

彼らは、神殿の宮で両替やいけにえの鳩を売り、一見礼拝者を助けているように見せかけ、実は自分たちの金儲けをしていたのです。

ユダヤ人たちの行いは、葉の茂ったいちじくの木であり、一見正しいように見えますが、神の前に決して実を結ぶものではなかったのです。

イエス様は飢えておられました。「信仰の実を食べたい」と飢えておられました。それで、実を結ばないいちじくの木を呪われました。それは、信仰の実を結ばないユダヤ人を呪われたのです。

いちじくの木は、根まで枯れてしまいました。それは、いちじくの木が完全に枯れたことを示していますが、イエス・キリストを信じようとしない者たちの末路をも予見しています。

その信じようとしない人々、すなわち枯れたいちじくと対照的に、信仰者の祝福を22節以降で語っておられます。イエス様は弟子たちに「神を信じなさい」と言われました。

イエス様は「人が信仰をもって願うなら、山も海の中に入る」。それが信仰の力だと言われるのです。

イエス様は、いちじくの木を枯らすことによって、私たちに神の力と不信仰への裁きを示されました。私たちは、そのようなイエス様を信じているのです。

パウロは『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい』(ピリピ4章6節)と言っています。

私たちは、もっと「信仰の力」に期待すべきではないでしょうか。今日からの信仰生活を、信仰による祈りの生活とさせていただきましょう。

その時、私たちは神の力を目撃することになるでしょう。

アーメン

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