2023年9月20日(水)

<讃美歌>讃美歌412番「父の神このわれを」

 <聖書日課>マルコ11章20~25節「信仰の力」

イエス様はいちじくの木を枯らすことによって、弟子たちに信仰の力を教えようとされました。

時は、もうイエス様の公生涯の最後の一週間に入っています。もう数日後には十字架が迫っています。イエス様は、泊っておられるベタニヤの家を出てエルサレムへ向かう途中、空腹を覚えられ

いちじくの木をご覧になりました。でもまだいちじくの実は生っていませんでした。そのことにおいて、いちじくの木はイエス様の期待にこたえられなかったのです。(12,13節)

それで、イエス様はその木を呪われました。翌日の朝、そのいちじくの木は根元から枯れていました。時は、過ぎ越しの祭りの時であり春です。春にいちじくの実はなりません。

しかし、イエス様はこの出来事によって、神の期待に応えようとしない者の最後を示されました。それは、逆を言えば、神を信じる力を教えられたのです。

ペテロはイエス様に言います。「先生、あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています」。そのことばにイエス様は「神を信じなさい」と答えています。

このペテロとイエス様の問答は、一見かみ合っていないように見えますが、イエス様は、神を信じない者は、いちじくの木が枯れたように、滅ぼされる時が来ることを教えられました。

その上で、信仰の力を弟子たちに教えられました。  「心の中で疑わずに、言ったとおりになると信じるならば、山に向かって海に入れと言えばその通りになる」。

弟子たちは、このイエス様のことばをどのように聞いたでしょうか。弟子たちの前に立ちはだかっている山。それは、とても動きそうもない難解な問題です。

弟子たちが、これから福音宣教を担う上で、山のような困難な課題は幾らでも起きてきます。イエス様は、信じて祈るなら「その課題は解決される」と言われます。

八鹿教会にも、多くの困難な課題があります。「この人は、いくら福音を語っても信じそうにない」と思えるような方はおられます。

しかし、考えてみれば、あなたもそのような者だったのではないでしょうか。そのようなあなたも、誰かの熱心な祈りによって動かされた山なのです。

私たちも、主にまったく信頼して、動きそうもない山を動かさせていただきましょう。主は、あなたの祈りを待っておられます。主はあなたの信仰の力に期待しておられます。

八鹿教会が、これからも<信仰の力>により頼む者の集まりとして祝福されますように。

感謝して、 アーメン