2023年11月8日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」

 <聖書箇所>マタイ15章1~9節「主を第一とする信仰生活」

ガリラヤでの宣教活動において、イエス様は5,000人の給食の奇跡や水の上を歩く奇跡を行われ、イエス様の名声はますます高まるばかりでした。

そのような話が、遠く離れたエルサレムにも届き、パリサイ人や律法学者たちは、もはやイエス様をこのまま放っておくことができなくなり、わざわざエルサレムからガリラヤにおられるイエス様のところにやって来ました。

彼らの目的は、イエス様の行動を監視して、イエス様とその弟子たちを、自分たちの行動規範である ”律法” に従わせようとすることでした。

パリサイ人や律法学者たちの目には、イエス様が救い主キリストであるとは見えなかったのです。それは彼らが、イエス様を律法という色眼鏡を通してしか見ることができなかったからです。

それで、彼らはさっそく文句を言っています。「あなたの弟子たちは長老たちの言い伝えを破るのですか。パンを食べるとき、手を洗っていません」と。言い伝えとは口伝律法です。

手を洗うと言っても、私たちが食事の前に蛇口のところで手を洗うのとはまったく違います。水の量やその作法が事細かく決められています。まったく<儀式>です。

そのような彼らに、イエス様は「あなたがたこそ、律法を言い訳にして神の戒めを破っている」と言われます。

彼らは、親に向かって「あなたに差し上げるはずの物は、神へのささげ物になります」と言って神が定められた「父と母を敬え」との戒めをないがしろにしていたのです。

私たちも、何かと理由をつけて、神の戒めをないがしろにすることはないでしょうか。

神は「わたし以外に、ほかの神々があってはならない」。「自分のために偶像を造ってはならない」。「安息日を覚えて、これを聖なる者とせよ」。「まず神の国と神の義を求めなさい」と言われました。

パリサイ人や律法学者たちは、イエス様ことばや行いに盲目であったために、イエス様がキリストであることが分からなかったのです。

私たちは、世の中の常識とか世間体等で、イエス様が見えなくなっていないでしょうか。私たちも、パリサイ人や律法学者たちと変わらない罪人です。

すぐに、自分たちの欲求に流されてしまう者です。そのような私たちが、神を第一とする信仰生活を続けるためには、イエス・キリストから目を離さないことです。

これからもあなたが、イエス様を見続ける生活、神を第一とする信仰生活を続けられますように願っております。

アーメン