2023年10月18日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる」

<聖書日課>ヨハネ8章25~35節「キリスト者の自由」

イエス様は、エルサレムの宮の中でパリサイ人たちと話しておられます。そこで、彼らは大変大切な質問をしました。「あなたはだれなのですか」(25節)。

この質問は、すべての人に課せられた人生の課題です。人は、人生のどこかでこの課題に向き合い答えなければなりません。

それでイエス様は、人がその課題に正しく答えることができるように、人々に語り行動されたのです。

26節でこのように語っておられます。『わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです』(26節)。

このことばでイエス様は、「わたしを遣わした方は別におられ、わたしはその方から聞いたことだけを話している」と言われています。

私たちも、周りの方々から神について、救い主について、聖書について質問されることがあります。

その時は、自分の思いを語るのではなく、聖書のみことばから答えればよいのです。聖書には、神様/イエス様が語られたことが詰まっているからです。

また29節でイエス様は、このように語っておられます。『わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです』。これはクリスチャンの行動原理です。

世の人は、自分の思うように行動したいと願います。しかし私たちは、自分の思いではなく神の思いに従って行動する者です。それが私たちにとって一番良いことであると知っているからです。

この世にあって、神のことばを語り、神の願うように行動するのがクリスチャンなのです。そうする時に、私たちは、真理は何かを教えられ、その真理は私たちを自由にするのです。

人はこの世にあって、いろいろなものに縛られて生きています。その中で、私たちを最も強く縛るものは<罪>です。

私たちは、神はどのようなお方であるかを知った時に、罪から自由にされるのです。

そのためにイエス様が地上に来られ、神様の語ることを語られ、神様が喜ぶことを行われたのです。

そうです。人は、イエス・キリストが何を語り、どのように行動されたかを知る時に神様を教えられ、罪から自由にされるのです。

私たちは、御言葉からイエス・キリストを更に教えられ、イエス様を証しする者とされましょう。

その時に、あなたは主にあって自由な者とされるのです。それがキリスト者の自由です。

アーメン