2024年01月24日(水)

<讃美歌>讃美歌394番「主よ終わりまで」

<聖書日課>マルコ3章13~19節「イエス様の名のもとに」

イエス様が、ペテロやヤコブたちを12弟子として選ばれました。 私たちは、どのような基準でこの者たちを選ばれたのか分かりません。ただ、さまざまな背景を持った者が選ばれています。

ペテロ/アンデレ/ヤコブ/ヨハネはガリラヤ湖の漁師でした。マタイはカペナウムの取税人でした。シモンは熱心党員です。国粋主義者と思ってよいでしょう。バルトロマイ(ナタナエル)は、ガリラヤのカナの出身です。他の弟子たちの素性は分かりません。

でも、私たちはそれだけを考えても、イエス様はいろいろな背景を持った者、さまざまな性格を持った者を弟子として選ばれたことが分かります。

しかし、その弟子たちは、イエス・キリストの名のもとに集って福音宣教のために働いたのです。

八鹿教会にも様々な素性を持った弟子たちが集められています。

もともとこの地域に住んでおられた方々、関東出身の者、大阪圏出身の者、自営業の者、サラリーマンだった者、学校の教師だった者、文科系の者、理科系の者、まったく違った性格の者たちが弟子として八鹿教会に集められています。

集められた目的は、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることです。

イエス様の12弟子たちは教会の型です。

全く性格も素性も違う者たちが集まって、一つの目的のために協力するためには、いろいろな困難が伴います。それこそ、主を裏切ったイスカリオテ・ユダも生まれて来るのです。

それ故イエス様は「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)と言われるのです。

ある牧師が言いました。「教会は、仲良しクラブになってはいけません」。仲良しクラブとは、自分と気の合う者たちや同じ趣味を持つ者たちの集まりです。

しかし教会は、互いに愛し合わなければ一致できない者たちが集っているところです。

12弟子たちが、イエス様によって集められたように、私たち八鹿教会の一人ひとりも、イエス様の名によって集められた者たちです。性格や思想はまったく違います。

今、私たちはイエス様を見ることはできません。でもおられることは確かです。

イエス様は、今も教会の中心におられ、それこそブラックホールのように強い求心力をもって私たちを引き寄せておられます。

これからも、この但馬の地で、私たちがイエス・キリストの名のもとで一つとなり、福音宣教のために働かせていただきましょう。

これからも皆様方の上に、主の祝福が豊かでありますように祈っております。

アーメン