=キリストの愛に生きる者とされるために=

<使徒書>Ⅰコリント13113

パウロは御霊の賜物も愛なしに用いるなら「神様の栄光を現せない」と警告しています。

神様の栄光を現すとは、人に福音を伝えることであり、人を信仰の中に導くことです。

そして様々な賜物が人に与えられる目的は<教会成長の実>を結ぶためであり、そのために<愛の道>が教会に示されなければなりません。

「賜物や働き手が少なくても教会活動はできますが、愛がなくては教会そのものが成り立たない」のです。

パウロは、愛の性質は寛容/親切/であり、ねたむことなく自慢/高慢にならないと言っています。それらは、教会の中で全体と個人のバランスを欠いた思いから出てきます。

それらは信仰者が「自分はキリストとの交わりに入れられた者」であることを忘れていることから生じます。

<愛>は、私たちがキリストとの交わりに入れられている事実を踏まえつつ、神の恵みに応答して生きる道です。愛の人であるとは、あなたが神の愛によって、キリストと結び合わされていることが前提になります。

パウロは、7節で愛の特質をまとめています。『(愛は)すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます』。

私たちは、「がまんすること」、「信じること」、「期待すること」、「耐え忍ぶこと」を頭で理解します。しかし、実践することはた易くないこともよく知っています。何故でしょうか?

キリストとの結びつきが希薄になっているからです。

パウロは言います「あなたは“愛”をもって人と接しているか」と。

私たちも、何人もの人に福音を語ります。その殆どの人は背を向けて立ち去ります。

でもあなたもかつて、神様の前に罪人だった。それで、主はあなたのために耐え忍ばれた。キリストが、あなたの罪のために十字架で血を流してくださった。

それが、神様があなたのために通ってくださった<愛の道>です。神の愛は、御霊の賜物を活かす力です。

イエス様が私のために、すべてを耐え忍ばれたことを教えられた時、人は<神の愛に活きる者>とされるのです。

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