=あなたが福音宣教の広がりに係わるために=

<福音書>使徒の働き81, 46, 12, 1417

ステパノの殉教をきっかけとして、教会に対する迫害が強くなり、弟子たちは地方に散らされました。散らされた弟子たちのある人々は、みことばを宣べながらサマリヤに逃れました。

彼らは、迫害にひるむことなく福音を宣べ伝えたのです。その力は、彼らに与えられた賜物です。福音を信じ、永遠のいのちに預かった者の喜びはすべてのものに優るのです。

ピリポは、人々をさらに励ますためにサマリヤへ下りました。ピリポは、大胆にハッキリとイエス・キリストを宣べ伝えたのです。

福音宣教とは、イエス・キリストを宣べ伝え主の栄光を現すことです。 そこでサマリヤの人々は『みなそろって、彼の語ることに耳を傾け』(6節)ました。

ここで二つのことばに注目します。<みなそろって>と<耳を傾けた>です。

サマリヤの人々は、ピリポの行いと話に心を一つにして見聞きしたのです。神のみことばは、全員が一致して聞くべきものです。

私たちは神様のことばを食い入るように聞いているでしょうか。そのように全体が一致して心を主に向ける処に、神様の祝福は大きく働くのです。

その結果、サマリヤの人々はバプテスマを受けました。

サマリヤ人はユダヤ人と敵対していましたが、キリストの福音は憎しみに優るのです。

また福音は迫害を耐え抜いて伝えられてきました。

信仰とは、少しの艱難によって神の恵みを忘れてしまうようなものではありません。

神様は、強い信仰者を求めておられる。人はイエス・キリストに心を向け続け、神様の愛を深く教えられることで強い信仰者とされます。

サマリヤの人々は、ピリポの教えとしるしによって、心に信仰と喜びを呼び起こされました。これは、福音を受け入れた人の心の内に、新しい人が生まれた喜びです。

私たちは強い信仰者として喜び、元気に生かされているでしょうか。主は、あなたが元気な強い信仰者であることを望んでおられます。

ピリポによるサマリヤ宣教は福音宣教の第一歩です。私たちも、宣教の働き続けるために、心を一つにして、主のみことばを喜んで聞き続けましょう。

Write a comment:

*

Your email address will not be published.