<聖書箇所>ヨハネの福音書6章1~21節 説教:朴鐘祐長老
ヨハネの福音書が書かれた目的は、「イエスが神の子キリストであることを信じ、その御名によっていのちを得るため」(ヨ20:30)
と書かれているように、ヨハネに書かれている7つの「しるし」、とりわけ、6章のしるしの出来事はもっともその目的が明確に示されています。
聖書の奇跡は不信仰から信仰に至らせる、まるでプレゼントのようなものですが、プレゼントの中身に注目されがちですが、
プレゼントした人の気持ちや存在をもっと考えるべきです。
今日は5000人給食のしるしの内容よりもイエスがどんなお方なのかに注目し、イエスが起こす「天のしるし」と
人間の思惑の「地のしるし」を対比しつつ、み言葉の恵みに与りたいと思います。
イエスの天のしるし一つ目は、(1節)バプテスマヨハネの酷い死に方の報告を聞いた直後の悲愴な状況にも関わらず群衆への深いあわれみから起こされていることです。
ご自分を顧みない究極のしるしは、十字架上の死によって神と人間を和解させた奇跡です。
二つ目は、(4節)過越の祭りの間近に起こしたしるしは、荒野でマナによって養われた神のしるしを思い起こし、唯一頼るべきお方であり、人間の食の欲求を超え、命の根源を示すしるしです。
三つ目は、(5節)ピリポをためすことを通して信仰の成長をお助けするしるしです。
私たちは自分の能力や判断にとどまる信仰から全能なる神様の存在を意識させ、その方に頼ることを学ばせるしるしです。
四つ目は、(10節)「座らせなない」と食事をとる姿勢を促す権威のことば、 (11節)で先に「感謝をささげる」感謝の祈りから、
私たちの前に先に動いて下さるイエスの姿に従い、また何事にも感謝をもって受け入れる信仰を教えるしるしです。
五つ目は、(11節b)「ほしいだけわけられた」人間の予想をはるかに超える豊かなものを与えて下さるしるしで、
(12節)「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように」と書かれていることから、私たちにお与え下さったすべての恵みに精一杯主に用いられるように励んでいきたいと思います。
イエスキリストが起こす天のしるしは、しるしそれが目的ではなく、私たちの思いをはるかに超えて豊かな恵みをお与えくださる方、
さらに神の国につながる永遠のいのちをお与え下さるしるしです。
私たちの小さな地のしるしを天のしるしに変えさせて下さる方の力に支えられながら1週間歩んでき行きましょう。
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