=あなたが主の再臨に備えるために=
<福音書>ルカの福音書12章32~40節
イエス様は『あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです』と言われます。“宝”は、あなたの命ともいうべき宝です。
“心”とは、どのような生活をするかを決める意思決定の場です。心がイエス・キリストにあるなら、あなたの生活は神様をほめたたえることを第一とする生活に変えられます。
あなたが何を“宝”として持つかによって、あなたの生き方が決まるのです。聖書は「あなたは、イエス様を宝の中の宝として持っているか」と問いかけます。
そこでイエス様は“主人の帰りを待つしもべ”のたとえを話されました。
しもべに求めらることは、主人の帰りがいつになっても構わないように、目をさまして絶えず準備を怠らないことです。私たちは、再臨の主にお会いする備えが出来ているでしょうか。
「再臨はもっと先だ」と思い、備えを怠っていないでしょうか。
明日のいのちの保証はありません。あなたは明日、死ぬかもしれない。そうなれば、明日が“主の再臨の日”とはならないでしょうか。
またイエス様は「目をさましていなさい」と言われます。“目を覚ましている”とは、信仰者が置かれた所で、賜物を用いて、喜んで神様の栄光を現すことです。
あなたがイエス様を罪からの救い主として信じて生きている。永遠のいのちの希望を持って生きている。隣人をあなた自身のように愛して生きている。それが、私たちが目を覚ましていることです。
さらにイエス様は、目を覚ましてる者の幸いを『主人が帯を締めて、しもべたちを食卓に着かせ給仕をします』と言われます。ここで“しもべ”とは奴隷のことであり、私たちのことです。
私たちはイエス様から命令を受けました。「わたしがいつ帰って来てもよいように、備えをしておきなさい」と。
たとい私たちがその命令を守り、主人を出迎えたとしても、それで私たちは褒められるのでしょうか。
ここに神の期待を見ます。「あなたも、人に仕える者となりなさい」。
この世において、あなたが主を<信じて生きている>、主に<希望を持って生きている>、主の<愛に生きている>。そのような者を、主は一層「神の愛に生きる者」と変えてくださるのです。
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