=あなたが常に新しく生かされるために=

<福音書>ヨハネの福音書3117

ニコデモはユダヤ人の指導者です。そのニコデモが“夜”イエス様のところに来た。何故、夜なのか? 彼はイエスに反対する同僚の目を気にした。

それでもニコデモは来た。傍目を気にしながらでも、とにかくイエス様のところに来て話を聞きたかった。私たちも、ニコデモの姿勢から教えられることはないでしょうか。

ニコデモは「どうすれば、人は神の国を見ることができるか」を尋ねました。

しかし、ニコデモはイエス様の答えを理解できなかった。中でも『新しく生まれなければ』については、さっぱり分からなかった。

人は罪をもって生まれてきます。罪を持ったままでは、人は神の国を見ることはできない。それでイエス・キリストが、すべての人の罪を一度で処理する完全ないけにえとして、ご自身をささげるために世に来られた。それを信じることが<新しく生まれる>こと

ニコデモは、自分の知識で考えられる範囲で反論しました。「先生、もう一度母の胎には入れないでしょう」。ニコデモは、目の前にいるイエスが神であることを知らなかった。

私たちも、信じているイエス様が神であることを忘れてはいないか。自分が思うように事が運ばないとき、祈ることを止め、あきらめてはいないか。

またイエス様は「水と御霊によって生まれなければ、‥」と言われた。<水と御霊>とは明らかに、洗礼のことを言っておられます。

イエス様は「今、洗礼を受けて新しく生まれなさい」と言っておられる。

「御霊によって生まれる」とは風のようなもの。風は目には見えません。でも、あることは確かです。感じるからです。御霊によって新しく生まれた者も、外見は以前と少しも変わらない。でも、感じる。

人は、イエス様を救い主として仰ぎ見るとき、すべての罪が赦されて<新しく生まれる>のです。私たちも主の前に身を低くして、謙虚にイエス様を見上げさせていただく。それが、今を生きるクリスチャンが新しく生まれ続けることなのです。

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