
=あなたが主に用いられる者となるために=
<使徒書>使徒の働き16章16~34節
パウロは占いの霊につかれた女奴隷に付きまとわれました。占いの霊は、パウロが宣べ伝えているのは真の神の福音であることを見抜き、この女を使ってパウロの働きの邪魔をしたのです。
それでパウロは、占いの霊をこの女から追い出したのです。
私たちも信仰生活の中で、福音宣教の邪魔をするものを取り除かなければなりません。クリスチャンは、神に関することに敏感でなければなりません。
またパウロはシラスとともに逮捕され投獄されました。彼らはローマ市民権を持っていることを主張すれば、むち打たれることもなく、牢獄に入れられなかったはずです。
しかし、パウロはイエス・キリストの福音宣教の働きのためであれば、迫害を受けることを許容していたのです。
逆を言えば、パウロにとって、イエス・キリストの福音は、どんなに迫害を受けても宣べ伝えるほど価値のあるものだったのです。
それでパウロはすべてを神様に委ねて、むち打ちをも牢獄をも受け入れたのです。
私たちは、福音を宣べ伝えるための災いを避けたいがために、この世と妥協していないでしょうか。
では、私たちとパウロとは何が違うのか? 神の御前における弱さが違います。
私たちは、自分がどれほど弱い者なのかを知りません。また、神の強さを知りません。それで神様に頼ることをしない。
自分が神様の前にまったく弱い者であると知った時、人は聖霊の働きに敏感な者とされ、すべての困難を主に委ねる者とされるのです。
神様は、ご自身の栄光を現すためには、謙虚でご自身に委ねる者を用いられます。
パウロとシラスが牢獄から逃げなかったのも、彼らは、すべてを主に委ねていたからです。パウロは、その牢獄の中でイエス・キリストを証しすることを知っていたのです。
永遠のいのちを受けるために求められるのは、自分の弱さを認め、主にすべてを委ねることだけです。
そのような者を、主は祝福し福音を伝えるよき器として用いられるのです。
主はいわれます。『わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる』(Ⅱコリント12:9)
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