=あなたが、あなた自身を見つめ直すために=

<福音書>ルカの福音書3718

ユダヤ人は「自分たちは神の選民であり、洗礼を受ける必要はない」と考えていました。それは彼らのおごり/高ぶりであり悔い改めるべき罪です。

そのような心の暗い部分を見つめないで、「私は悔い改める必要はない」と叫んでも、その者は神様の前に偽善者とみなされるだけです。

神様は悔い改めない者を赦すことができません。神様は、いろんな機会を与えて、人が悔い改めるのを待っておられます。

罪を悔い改めない者は、救い主を待ち望むことはできません。神の裁きは必ずやって来ます。ヨハネは叫びます。『悔い改めにふさわしい実を結びなさい』と。

悔い改めるとは、イエス・キリストに心を向けることです。

そのような者は、キリストの愛に気が付かされ悔い改めへと導かれるのです。悔い改めは、罪が赦されるために残されている手段であり神の恵みです。

・ヨハネは群衆に言います。「持っている者は、持たない者に分けなさい」。

これは、私たちの心が、神様が与えてくださった喜びに生きることができなくなっている明確なしるしであり、持っているときに持たない者のことを思い出すことができなくなっている心のかたくなさの表れです。

バプテスマのヨハネは、ここで「人が困っていることにも目を向けなさい。他の人を無視するような生活から自由になり、自分が神様の前にどのように生きているかを見直しなさい。それが悔い改めにふさわしい実だ」と言っている。

ヨハネは、自分の後に来られるキリストを見て人々に叫んでいます。

あなたもヨハネに問います。「私はどうすればよいのですか」。あなたはその答えを、キリストを通して、キリストの向こう側に見出します。

そうする時、あなたは主の前に謙虚な者へと造り変えられます。あなたがなすべきことは、キリストを通して、キリストの向こう側にあるものをしっかりと見つめることです。

そこにあなたは、キリストにあって造り変えられたあなた自身を見出すのです。それが、<主を待ち望む心>が見続けなければならないものなのです。

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