=あなたが十字架を喜んで生きる者となるために=
<福音書>ルカの福音書23章26~49節
シモンは、イエスの十字架刑の時たまたまエルサレムにいた。道端で見ていると、ローマ兵がそこにいたシモンに十字架を担がせた。
シモンは運が良かった。シモンは十字架を運ぶことで、救い主の十字架刑に立ち会い「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」との主のことばも聞いた。
それでシモンはイエス様を信じクリスチャンになったのです。 イエス様と一緒に十字架につけられた二人の犯罪人の内の一人も運が良かった。
他の犯罪人が言います。「自分と私たちを救え」と。こう言った犯罪人は、ただその時の十字架の苦しみから逃れたかっただけです。
でも二人目の犯罪人は気がついたのです。「父よ。彼らをお赦しください」との声を聞いて、今自分の横で同じように十字架につけられている方は救い主キリストだと気がついたのです。
そこに、この男の信仰があります。それで、その信仰が「あなたの御国で、私を思い出してください」とのことばを言わせたのです。彼はそこにしか希望の光を見い出すことができませんでした。
この犯罪人もキリストの十字架を負ったのです。キリストの十字架を負うとは、イエスは誰なのかに気付き、イエス・キリストに期待することだからです。
シモンも二人目の犯罪人も、イエス様の十字架を負い、その時から十字架に生きる者とされました。
十字架に生きるとは、イエス・キリストに期待して信仰生活を生きることです。
あなたは十字架に生きておられますか? 私たちは信仰生活の中で困難に遭遇しますとそれを回避したいと思います。しかし、困難を回避したところで解決にはなりません。
私たちは、キリスト者としてその困難に向かい合わなければなりません。
十字架を負うことは苦しいことです。でも「その苦しさを受け止める姿勢の中に解決がある」のです。
わたしの罪のために十字架を負ってくださったイエス・キリストが、私の十字架をも負ってくださり、あなたに生きる力を増し加えてくださるのです。
皆様方が、十字架の向こう側に困難の解決を見い出される信仰生活を過ごされますように願っております。 それが<十字架に生きる>者の生き方です。
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