<讃美歌>讃美歌239番「人となりたる 神のことば」

 <聖書日課>ヨハネ8章31~38節「自由なる者」

イエス様は、すべての人が罪を悔い改めて、ご自分を罪からの救い主と信じることを求めておられます。

ある時、イエス様がユダヤ人たちに話をされ、それを聞いていた多くのユダヤ人がイエス様を信じました。(30節)

イエス様は、その信じたユダヤ人たちが、表面的には「私はあなたを信じます」と言うけれど、本当は、まだ罪の中に留まっていることを見抜かれました。彼らは、名ばかりの弟子だったのです。

それでイエス様は、彼らに言われました。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」。

信じたユダヤ人たちは、この<自由>と言うことばに違和感を覚えました。「私たちは、もともと自由であり、誰の奴隷でもない」。これが彼らの言い分です。

彼らは、アブラハムの義が彼ら自身の義の保証であると考えていたのです。しかしそのように言うユダヤ人は、神から遣わされたイエス様を殺そうとしている。

それは、彼らがイエス様のことばに神のことばを見い出せないからであり、彼らが罪の奴隷となっている証拠なのです。

イエス様に従う本当の弟子とは、イエス様のことばの内に神のことばを見る者であり、その者は罪から自由にされています。

しかしユダヤ人たちは、「私たちは、もともと誰の奴隷でもなく、罪から解放される必要もない」と言うのです。

彼らは、一時的にイエス様のことばに感動して信じたつもりであっても、それは表面的なものだったのです。

罪の奴隷から解放されることは、表面的な信仰や律法を守って入れば良いと考える形式的な宗教では不可能です。 だからイエス様は「わたしのことばにとどまりなさい」(31節)と言われる。

イエス様のことばにとどまるとは、イエス様のことばが喜びとなり、イエス様のことばが生活の一部となり、イエス様のことばが正しい道に導く力となることです。

そのような者が、イエス様の本当の弟子なのです。

八鹿教会に集われる一人ひとりは、みことばを大切にされる<本当の弟子>です。イエス様は、そのあなたに更に恵みを増し加えようと日々あなたに語りかけておられます。

私たちが、更に多くの恵みをいただくために、イエス・キリストのみことばである聖書のことばに聞き続け、日々の信仰生活を祝福で満たしていただきましょう。

その時あなたは、ますます神の愛<真理>を教えられ、自由な者とされるのです。

アーメン

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